本朝サーファー列伝

第一回:岡野教彦/目次

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<オールド・スクール>対話篇

第一回:岡野教彦


岡野教彦(おかの・のりひこ) : 東京都出身。「全日本」初期のトップ・コンペティター。1971年全日本ジュニア・チャンピオン、1977年全日本プロ・チャンピオンなど、日本の第一線級サーファーとして、海外でも活躍した。現在は接骨医・整体師のかたわら、ますます、波乗りに磨きをかけている。



1:ジュニア・チャンプ  

石井:教彦がジュニアで優勝したのは、伊良湖の全日本(1971)だから、もう三十年以上まえになる。  
岡野:あの時は、十五歳。まえの年(1970=新島・羽伏浦)は六位だったけど、優勝した翌年(1972=茨城・日立) は二位だった。おれはジュニアの時代が長いんですよ。(笑)優勝した昭和四十六年は、中村さん(中村一巳)の紹介でそれまでの「マリブ」から「テッド」に移籍した年で、阿出川さん(テッド阿出川)が、ちょうどこっち(千葉)に工場をつくったころだった。  

石井:全日本初期の歴代のジュニア・チャンピオンの名前を思い出すと川井幹雄、小室正則、長沼一仁、青田琢二、岡野教彦伊東満、抱井保徳、添田博道というように、強固な歴史をつくってきた。最近はどうなんだろう。途中から、わからなくなっちゃった。  
岡野:それはありますね。やはりプロができて、アマチュアとの間に壁ができた。ある意味でつながってはいたんだけど、おれもその辺からはなんとなく、あまりはっきりしないんですよ。でも、松野(達也)なんかみたいに、やっぱりジュニアで優勝して、プロで活躍したサーファーもいる。全日本で活躍してプロに行くという形式は、いまも、続いているんでしょうね。おれも石井さんと同じで、そういうの、あまり興味なくなっちゃったから、わからないけど…。(笑)  

石井:だけどあのころは、全部見えてて、ほかに誰もいないという感じだったよね。  
岡野:それは多分、サーフィンが急速な勢いで発展したというか、流行ったというかさ、ともかく急に広まって、いろんなところからうまい連中が出てきた。それが前みたいにゆっくりした段階でなく、はやい勢いだから、把握しにくいんじゃないですか。
石井:確かに、うまい連中はあちこちから、大勢でてきたかもしれない。だけどそれで、波乗り全体のレベルがあがったかというと・・・。  
岡野:そうでもない。  
石井:全体のレベルは、世界と比較して、むかしの方がはるかに高かった。  
岡野:というのも、むかしは選手の層は薄かったけど、その薄い層のなかで、上の層がものすごく濃かったんですよ。ガーンとうまいのがいて、上からたたかれるから、ポンとあがって来れない。だけどいまは層は厚いんだけど、厚いぶん、上の濃さもあまりないんじゃないかな。だから、下の方の層の連中でも、いきななり上にあがってこれる。むかしは絶対に、そんなことできなかったですもんね。  

石井:それで、1975年ごろから世界的にプロ化の波が押し寄せてきて、その年の新島で第一回の全日本プロが行なわれた。前浜に、記念碑的な波がたって、えらい騒ぎだった。その翌年から、I.P.S. ( インターナショナル・プロフェッショナル・サーファーズ)のワールド・サーキットが始まったわけだけど、おれが今も忘れないのは、教彦と一緒にオーストラリアに行ったことね。あれは一体、どういうことだったんだろう?  
岡野:あれは、ぼくが前の年、1977年の全日本(プロ)チャンピオンだったんです。それで<スタビーズ>から招待状が来て、石井さんがハワイで、ぼくの腹をくすぐったんじゃないですか。教彦、こういうの(招待状)が来てるぞと言って・・・。(爆笑)  

石井:ああ、そうだったかな?そういえば、あのころはパイプライン・マスターでもなんでも、みんなおれが窓口になってた。どういうわけか。それで、全日本プロに優勝した岡野教彦が、日本代表として当然与えられるべき座について、スタビーズ・オープン・サーフクラシックに出場した。あれでノリヒコが好成績を収めて、日本人でも、世界でやれるという自信がはじめてついたんだ。それまでは、ハワイばっかりで、だめだったけど・・・。     

第六回全日本サーフィン選手権大会(1971年=愛知県渥美郡赤羽根町赤羽根海岸)のジュニアの部で十五歳ながら堂々優勝し、天才サーファーの名をほしいままにした岡野教彦。また、同大会の横断幕と、そのころのサーファーの風俗。クルマの車種とボードが時代を感じさせる。(『サーフィンワールド』創刊号:「日本サーフィンの歩み」より)


2:スタビーズとオーストラリア
 

岡野:あのときは予選ラウンドを二回勝ちあがって、本戦のマン・オン・マン・ヒートに 進んだんです。  
石井:そう。ノリヒコはスイスイ勝ち上がったけど、ヒロミチ(添田)は調子が悪くて、パドルが全然、進まないの。一緒にやった地元のポール・ニールセンなんかは、すぐに沖へ出れるんだけど、ヒロミチはいつまでも同じところで漕いでいるうちに、終わってしまった。体力の差が歴然としていると思い知ったね。  

岡野:あのバーレーの流れは、凄いですよ。でね、着いてヒロミチとふたりで入ったときは夕方で、人もいなくて波もたいしたことはなかったけど、それでも今までやったことのない波だし、すげえ波だなって、ふたりで話してた。そして翌朝、大会会場の上から見たら、ともかく波乗りが凄いんですよ、みんな。バキーン、バキーンって当てていく波乗りで、おれなんかそんな波乗り見たことなかったから、ヒロミチとふたりでああいう波乗りしなきゃ駄目なんだなって、話し合ったことを覚えてます。  

石井:あのころのオーストラリアといえば、今と違って、おれたちは誰も見たことないわけだから。それ以前に日本人としてオーストラリアへ行ったサーファーといえばわずかに、ドジ井坂がいるだけで、彼が出場した1970年のワールド・コンテストまで、さかのぼらなくてはならない。その間、誰も行ってないんだから。いまの若者がホームステイやワーキング・ホリデーで、簡単にオーストラリアへ行く感覚とはまるでちがう。  
岡野:だから、はっきり言って、サーフボードひとつ持って行くにも、どんなボードつくったらいいか、まるで分からなかったですね。無茶ですよ、やってることが。(笑)  

ゴールドコーストの名物は、樽(たる)をころがしたようなバーレー・ヘッズのバレル。ひとは呼んでバーレー・バレルというが、そのバレの中をひた走る岡野教彦。1978年3月、スタビーズ・オープン・サーフ・クラシックの一場面。

Nori Okano , Burleigh Heads . Photo : Asian Paradise

石井:無茶は無茶だけど、三人で泊ったコンドミニアムが、天国の丘(ヒル・ヘヴン)という素敵なところでね。朝おきて、まっさきにカーテンを開けると目のまえいっぱいの海が、オレンジ色にひかり輝いて、うねりの筋が沖から一ダースぐらい束になって来てる。あれはとにかく強烈な印象だったな。まさに<天国>そのものなんだ。そんな状況のなかで、ノリヒコは健闘よくマン・オン・マンに進んだけど、そもそもこの競技方式が新しく発明されたばかりのうえ、相手は運悪くバーレー・ロコの強豪ラビット・バーソロミューだった。彼の庭だからね、バーレーは。やりにくかったろう?

岡野:でも、試合まえに海に入るとき、ラビットが「やるぞ!」って、すごく強い力で握手してくれた。それがとても嬉しかったですね。やつが本気で戦ってくれるという感じで。ホーンが鳴って、すぐ、波の取り合いになった。それでたしか、一本目おれが乗ったんですよ。面白かったのは、ラビットが今の波どうだったって聞くから、すっげえいい波だったと言ったら、ラビットが自分の板ガンガン叩いて、悔しがってね。タリー・ホー(ブレアーズ=プロレス界でも有名なエンターテイナー)が例の名調子で放送するから余計ですよ。  

石井:実際、あのときのバーレー・ヘッズの盛り上がりはすごかった。前の年、第一回大会に地元の英雄マイケル・ピーターソンが優勝したから余計だね。地元放送局の発表では、観衆が一万人を越えたという。おれはプロ・サーフィンの絶頂をあの大会で見た気がする。翌年(1979)のガンストン500(南アフリカ=ベイ・オブ・プレンティ)と。あそこまでがピークだった。だけど、あのラビットとの一戦。あれはすごい接戦でね。ヒートが終わったとき、サインを求める女子供はみな、ノリヒコのところに集まったくらいだった。まあ、アナウンスのタリー・ホーが日本びいきだったせいもあるけど、まるでラビットが敗者のように見えたの。結局、ラビットが僅差でこのヒートを制して、最終的にスタビーズに優勝し、あれから勢いに乗って彼が1978年のワールド・タイトルを取ったんだからね。

一方、トライアルから順調に勝ちあがってきた岡野教彦を、地元で迎え撃つバーレー・ロコのウェイン・ラビット・バーソロミュー。このマン・オン・マン・ヒートに敗れた岡野は惜しくも17位にとどまったが、ラビットはそのまま快進撃を続け、前年のマイケル・ピーターソンに続き、スタビーズの栄冠を地元にもたらし、ゴールド・コーストは沸き返ったのである。

Rabbit Barthlomew , Burleigh . Photo : Asian Paradise

岡野:そのあと三人でメルボルンへ行って、ベルズ・ビーチのイースター・プロに出たんだけど、ちょうどエディー(アイカウ)が遭難した知らせが入って大変だった。(弟の)クライドが、「絶対、エディーは死んでない!」って言って、すごく可哀想だったな。それまでずっと一緒だったのに、あいつだけ荷物をまとめて、先に帰った。  

石井:だから余計、オンショアのベルズが惨めでね。クイーンズランドのゴールドコーストから、また、真冬に逆戻りだからさ。おれは外に出なかったよ。  
岡野:すごく暗くてさ、雨が降って、寒くてさ。波はあるんだけど、駄目で・・・。だから何が楽しかったといえば、それからクルマでシドニーに上がって、ピーター・クロフォードと一緒にディー・ワイ・ポイントで波乗りしたり、リトル・アヴァロンに連れていってもらったりしたのが、今となればいい思い出だな。リトル・アヴァロン、いい波だったもの!  
石井:松部をグラッシーにしたみたいだったな。  
岡野:ボコッとほれて。ピーター・クロフォードとか、ローカルの奴らが自慢げに、「お前ら、この波乗れるか?」みたいな、テイクオフできるか、みたいな感じでさ。(笑)  

バーレー・ヘッズの丘を埋めつくした1978スタビーズ・オープン・サーフ・クラシックの大観衆。1976年に発足したI.P.S. のワールド・プロ・ツアーは、はやくも華やかな絶頂を迎えていた。

Photo : Asian Paradise

石井:あのピーター・クロフォードも、バリ島で蛇に噛まれて死んじゃった。  
岡野:そんなに奥地に行ったのかな。あまりバリでは、聞かないですよね。  
大輔:毒蛇に噛まれて、病院に行ったら違うものを注射されて、それで死んじゃったんですよ。その毒蛇の血清が、違っちゃったみたい。だから、その蛇の毒によって死んだんじゃないみたいですね。そういう風に聞いたな。  
岡野:バリあたりだと、それは考えられますからね。  
石井:とにかくサ−フィン界では、非常に惜しまれる人材だった。おれとは不思議に馬が合ってね。バリで再会したのことは、ダイスケもよく知ってるけど、一緒にジャワへ行った時、(真木)蔵人なんかはピーターのことまったく知らなくて、本当に驚いていたな。「ピーターさんって、むかしから、あんな感じだったんですか?」って、おれに何度も聞いて確認しようとしていた。おそらく蔵人たちの世代には存在しない個性じゃないかな?だからあの、『ジャワ15イヤーズ・アフター』は、おれにとっては、あのピーターがいてくれて、一緒にグラジガンのキャンプで過ごせたのは、本当にいい思い出になった。ああいうタイプの純粋さには、もうめぐり会えないだろうな。言葉では、言えないけど…。



3:ビリー・ハミルトンのトラックス
 

石井:七十年代のあのころというとノリヒコは、川井幹雄のところにいたのかな。  
岡野:そう。ミッキーがマリブから独立して、自分で「川井サーフボード」を始めたころです。(オーストラリアへ行ったのは)ちょうどその年ぐらいですね。  
石井:そうすると、ミッキーがフィルム(『ストーン・ブレイク』)をつくるんで、ノリヒコとハワイやカリフォルニアへ行ったのは、そのころかな。北海道にも行ったね。  
岡野:そう。(カメラマンの)岡山さんと。あのときもミッキーらしいんだけど、おれが千葉から日曜の夜帰ってきて家でさ、風呂にはいってそろそろもう寝ようかというときに、ミッキーがばたばたと入ってきて、「おい、ノリヒコ。これから北海道へいくぞ。はやく支度しろ。」だもんね。(爆笑)  

石井:だけど、あのころ北海道で波乗りやるなんて聞いたこともなかったから、ノリヒコたちが最初じゃないか。北海道で波乗りしたの。  
岡野:そうだと思いますよ。誰もいなかった。  
石井:ともかく、三十年というと、長いんだか短いんだか分からないんだけど、まだ北海道で波乗りやるやつなんていなかったんだから、その変わり様といったら、すごいね。  
岡野:あのとき、百人浜というところで波にあたって、ワックスかけてさあ、それでとにかく海岸っていったって、ひとの足跡とか、ひとの入った形跡なんかぜんぜんないような海岸ですもんね。お盆がおわって、八月の末ころだったけど、百人浜に入るときもうフルスーツにブーツだったですから。(笑)  

石井:おれはそのころ誠ちゃん(渡辺誠一)と奄美大島へ行って、<神の子>というところで波乗りしたけど、やっぱり浜にはひとっこ一人いなかったな。土地のひとがサーフボードを見て珍しがってた。ともかく、ちょうど同じころ、おたがい日本の南と北でポイントを開拓してたわけだけど、そのころのノースショアはどうだった?  
岡野:十五のとき、ジュニアで優勝した年(1971)の冬、はじめて兄貴(岡野孝親)たちと一緒に行ったけど、もう本当にカントリーでしたもんね。七十年代のノースショアは、ひとことで言って、すごくよかった。後半になっても、『ビッグ・ウエンズデー』の撮影してたころなんかは、すごく印象的でしたね。カウアイからビリー・ハミルトンなんかが来て、撮影のためにノースにずっといたりして・・・。  

石井:サンセットでビリー・ハミルトンにドロップ・インされたのは?
岡野:その年ですよ。あれはたしか、元旦じゃなかったな。天気がよくて、波がテン・フィートぐらいでね、すごくいい波だった。で、リノさん(リノ・アベリラ)とか、みんな入ってて、「ハッピー・ニューイヤー!」(笑)、みたいな感じで。それであれね、はやいはなしが、ビリー・ハミルトンがおれの前でドロップ・インしたんですよ。おれがボトムにおりてターンしようとした時に、ビリー・ハミルトンが上からグーッと来たんで、おれがターンして上にもっていけないんで、こういうふうに(手まね)戻ったら、ドーンとリップ食らっちゃった。でも、そのリップくらう直前に、あのビリー・ハミルトンの、あのきれいなスタイルとあのカミソリで切ったようなトラックスが見えましたね。その瞬間に、ガーン。(笑)でも、あのトラックスをまともに見れたんだから、このぐらいのリスクは仕方ないかなと。ほかのやつは見たことないと思うんですよ。まのあたりに。あのビリー・ハミルトンのトラックスは・・・。  

カリフォルニアを代表するクラシックなスタイリスト・サーファー。ビリー・ハミルトンは1960年代の後半ハワイに移住し、スミロノフやデュークのように、はじまったばかりのプロのサーフ・シーンやビッグ・ウェーブで活躍した。サーフィン映画のスターであると同時に、シェーパー/デザイナーとしても一流の技術を持っていたが、混雑をきらいオアフのノースショアから、カウアイ島に難を避けた。

Bill Hamilton , Sunset Beach .
(写真はともに" ILLUSTRATED ENCYCLOPEDIA OF SURFING " より)

石井:それで今でも首に後遺症が残って時々痛むけど、そのトラックが見れたので笑っていられる。すごいことだね。彼はまったく英雄だ。ともかく、かっこよかったから。  
岡野:もう、あの人はそれこそコンテストうんぬんじゃなくて、もう最高にむかしからフォトジェニックだから。  
石井:まあ、いまは息子のレアードが、ジョーズやテアフポですごい波に乗って、人を驚かせ、まったくユニークな活動をしているけど、お父さんはカリフォルニアからノースショアへ来て、そこが混みだすとまっさきにカウアイ島にレイド・バックしたようなところがある。何の映画か忘れたけど、ビリー・ハミルトンが板一本の軽装でメインランドから来て、その板が飛行機から裸のままコンベアに乗って出て来る。カバーもかけてないのね。それを無造作に片手でもって、空港を出ていくシーンがあるけど、モノにこだわらない姿というのは、それだけですごく印象的だった。いまのプロフェッショナルといえば、たいていは板の5ー6本もたばねて、フィンをはずし、ちゃんとしたケースに入れて移動してるけど、管理されすぎててつまらない。ボードもケースもメーカーがちがうだけで、品質は全世界がひとつで画一的な気がする。だから、波乗りも個性がないんじゃないかな。「ビリー・ハミルトンのトラックスをまのあたりにする!」というような思いは、成立しにくい時代かもね。

 

岡野:むかしはなんというか、不便さというか、モノにこだわらないというか、あの連中は、そういうカッコよさがありましたよね。  
石井:ノリヒコはからだは小さいのに、サンセットの大きい波が好きで、よくあそこの大きな波に乗っているのを見たけど、パイプラインはどうだった?
岡野:パイプラインもやったけど、あの当時、バックハンドのハンデというのが、すごくありましたよね。どうしても奥へ行けない。奥へ行けば、ドロップ・インされる。それがいやで・・・。それにパイプラインがいいときというのは、サンセットもいいから、結局よく乗れるサンセットに行くようになったという感じかな。パイプラインはエイト・フィートぐらいで、思いっきり岩にぶつかったこともあるし。  

石井:やはり波乗りする場所は、ひとによって、相性みたいなのもあるかな。あのころでいえば、ウェイン・リンチも来たけど、パイプラインは合わなかった。  
岡野:結局、ウエイン・リンチも人がいやで、パイプラインに行かなくなっちゃったでしょう。あのひとも怪我したんですよ。それで嫌いになった。  
石井:ジム・バンクスも、パイプラインで松葉杖ついてたからな。  
岡野:ひたいも切ったしね。でも、パイプラインで印象的なのは、おれはジム・バンクスとジェフ・クロフォードね。ものすごい奥から行くんですよ。あの二人。すごいテイクオフして、あの当時、すごい攻め方するなと思った。  
石井:しかも、ジェフ・クロフォードはイースト・コーストから来てたからね。リック・ラスムーセンと。  



4:千葉シック
 

石井:知らないやつは、ノリヒコは東京の人間だと思ってるけど、千葉のローカルだね。  
岡野:そう。千葉は、ぼくの血ですね。ぼくは、太東の血なんですよ。ぼくのおばあちゃんが、岬町の出身だから。だけど外国に行くと、日本人に見られない。(笑)ヒロミチとオーストラリアに行ったときも、バーでビール飲んでたら、酔っぱらったおやじがおまえらどこから来たと聞くから、おれたちは日本から来たって言ったら、ウソつけおまえらは日本人なんかじゃない。おまえらはインドネシアだろうって言われた。(爆笑)外国に行って、ホームシックにかかると、たいていそれは千葉の波なんですね。千葉の波に乗りたくなる。  
石井:具体的にいうと、マリブかな?  
岡野:マリブ、松部、それからこの辺。波もそうだけど、太東からこの辺にかけての景色とか、全体の雰囲気。外国へ行くとそれを思い出して、<千葉シック>になっちゃう。だから蛸(操)なんかも、おれのこと東京の人間だなんて、まったく思ってないですよ。  

石井:どう?そのころの千葉のローカルは・・・。  
岡野:それはもう、最高でしたよ。今はなんか、みんな、おかしくなってきてるじゃないですか。若い子たちなんかも。でも、千葉はまだほかからくらべれば、まだましな方じゃないかな。ここの辺の連中は、あまり、ひどいことしないじゃないですか、ローカルが。おまえらは入れない、とか言わないし。でも、あのころはみんなが、もっと一緒でしたよね。
 
石井:まあ、人間誰しも、過去へのノスタルジーを禁じえないところはあるだろうけど、ノリヒコは1960年代からずっと波乗りする人間を見てきて、このサーファーという人間は、どうだろう。やっぱり、変わったのかな?  
岡野:自分もほかに仕事を持ってて、むかしのように波乗りにドップリ浸かっているわけじゃないから、この急激な変化のなかであまりよくわからない部分もあるけど、ただ波乗りがすごくスポーツ化したことは確かですね。そういう自分もサーフィンがプロ化するなか、現役でずっとやってきて、サーキットとかがすごくブームになった時期があって、もっとスポーツして浸透するように、自分もスポ−ツマン的に努力しなくてはいけないと思ったこともあります。確かに、そういう意識をもってた。でも、今はちがうけどね、全然。サーフィンはスポーツなんかじゃねえぞ、みたいな事になっちゃったけど・・・。(笑)  

千葉外房は太東(たいとう)の血を引く岡野教彦。千葉の波をどこよりも愛し、外国へ行ってホームシックにかると、まっ先に千葉の波を思い出すので、教彦は自ら「千葉シック」と呼んでいる。写真は1980年8月24日地元太東で行なわれた J.S.O. のプロ・アマで優勝した時のもの。ホームグラウンドにおける岡野教彦の守備範囲は、太東周辺から鴨川まで広く及んでおり、中でも「志田下」(しだした)を蛸操とともに<波乗りの道場>にまで高めた自負をもっている。

Norihikko Okanno , Shida-shita .
Photos : Surfing World

石井:スポーツじゃない!?スポーツじゃないけど、いったい何だろう?  
岡野:自分ですか?・・・今のぼくは、サーフィンがスポーツであるまえに、サーフィンはスポーツじゃないものとしてある。だから、じゃあサーフィンは何かといえば、その言い方がわかんないんですよ、おれは。すごく、宗教的なもの。そう言えば、確かにその通りだし・・・。だけど、何といえばいいかといえば、その言い方がわからない。言葉が見つからないです。もうすこししたら、言葉がみつかるかもしれないけど。  

石井:だけど、それで、ちゃんとした答えになっていると、おれは思うよ。無理に言葉を見つける必要はないんじゃないかな。なぜなら、言葉で言い表わせないものが、波乗りであるというように言えるからだ。そこでは、言葉がかえって、邪魔になっている。おそらく、波乗りというのは、言葉にならないものなんだろう。  
岡野:そうなんだと思うんです。もしかしたら、あと何年先になっても、おれの言葉として出ないかもしれない。うん。
石井:言葉にならないものが、サーフィンか?  
岡野:あのね、何だって言われたら、ほんとにねサーフィンとは何かって、おれ言えないんですよ。(笑)もちろん、スポーツでもあります。これは否定できないし、スポーツではあるんだけど、でもそのスポーツであるまえに、違うんだよ、ちょっと待ってくれと言いたい。じゃあ、何だって言われたら、いま出ねえんですよ。(笑)  

石井:ひとときおれも、深く考えることがあって、離島へ行ってた。五年ぐらいそこで暮らして、帰ってきたら、なんだかノリヒコがまるまると太って、ロングボードをかついでいるんだ。それを見ておれは、自分が浦島太郎になったような気がしたけど、あの十年まえに較べると見違えるように君の身体がスリムになったこと以上に、波乗りと君自身がピタッとひとつになったような気がするんだけど、そういうことない?  
岡野:ありますね。おれはロングボードで波乗り始めたじゃないですか。そのあとショートボードの時代がずっとあって、ちょうどあの十年前頃またロングボードが復活して、それとともにロングボードでまたコンテストに出始めたんです。ぼくは現役のころも、自分が調子悪くなるとロングボードに乗って、調子を戻してたんですよ。こないだも大輔に話したんだけど、ロングボードに乗って、ショートボードに戻ると、いい意味での勘違いになるんだよな。そうするとスタイルが出来て、すごく調子よくなるんですよ。(笑)また、その逆もあって、極端に短いツインフィンなんかに乗って、ロングボードに乗ると、今度はロングボードがすごく調子いいんです。(笑)


5:波乗りと板   

石井:そうなると今度は、波乗りと板という問題になってくるな。ノリヒコにとって、サーフボードとは何だろう。  
岡野:ああ、それはもうオモチャです。  
石井:そういえば、ポッツも<TOY>だって、言ってたな。  
岡野:それで、このまえポッツともね、話が合っちゃった。子供のころからオモチャだよな、トイだよなって。おれなんか始めたころ、ワックスという品物がなくて、兄貴とロウをね、キャンドルを塗ったんだって言ったら、ポッツがおれもそうだって。あいつなんかまだ若いけど、最初はキャンドル使ったんだって。ワァ、懐かしいなって、ポッツがもうすごい喜んじゃってさあ。おまえもキャンドル使ったんだというわけで。(笑)  

石井:そうすると、サーフボードというのはオモチャというこで、モノというわけだから、手足の一部というような感覚はない?  
岡野:いや、おれにとってそんなカッコいいもんじゃないですよ。もうほんとに、ぼくのおやじが、おれのいとこと一緒に、これがおまえたちの夏の遊び道具だぞと言って、自分の友達の大工さんに、板子乗りの板切れを、何枚かつくってくれて、与えてくれたんですよ。それもただの板切れではなくて、波乗り用に手をつかむようなところもちゃんとあって、長さなんかも測ったちゃんとした板だったですけど。  
石井:それは、すごい!まさしくそれが<波乗り>であって、カリフォルニアから伝わって来たサーフィン文化とか、そういうものじゃなかった。  

「サーフボードはぼくのおもちゃです。」といいきる岡野教彦。それは、彼がまだ子供のころ、父親が与えてくれた<板子>の感覚がそのまま残っているからだ。板子は外国から輸入された「サーフボード」の模倣ではなく、彼の父親と大工が工夫した波に乗るオリジナルの「板」であり、おのずとそれは「サーフィン」でなく、「波乗り」だった。波乗りを「かっこいい」と表現する岡野には、彼が育った東京・両国に色濃く残っていた<江戸趣味>の、「いき」という感覚が込められている。写真は1977年春、師匠の川井幹雄の工場でシェープに立ち会う岡野教彦。この板で彼は、この年の全日本プロに優勝した。  

岡野:じゃないです。それで、大原の港というのが、いまのああいう風な港じゃなかったんです。ずうっと海岸があって、港があって、いまの太東のように、横に堤防が波よけに出てたんですね。台風が来はじめて、南のうねりが入ると、この堤防に思いっきりそのうねりがぶつかるんですよ。ドーンと。その厚くてすごいしぶきが港側にドワーッと滝ように落ちるんです。で、おじさんに連れられておれたちはみんな、この堤防の上に立っているんですよ。すると波が来て堤防に当たると、そのしぶきで身体が吹っ飛ばされて港側に落ちると、今度は滝つぼのようにグルングルンに巻かれるんですね。それがぼくたちの小学生のころの夏の遊びだった。  

石井:そうすると、マリブもそうだったけど、海岸の構造や景色というものが、今とまるで違うわけだから、そのノスタルジーというものは、人一倍強いだろうね。  
岡野:ありますね。メチャメチャありますね。今の太東なんか見たら、もう涙が出ちゃいますね。波も。よかったころあったじゃないですか。横の堤防が出る直前の、あの年。パーフェクトなあの波。ねえ。  
石井:すごい、ロングライドの波だったから。  
岡野:あれが、無くなっちゃったんですもんね。マリブだって、そうですよね。ぼくが最初に見たマリブは、上に道路もなんにもない、正面が崖でさ。マリブのあの白い小屋があって・・・。  

石井:広くて美しい白砂の海岸だった。  
岡野:これはもう、いけないことだよね。これ以上は、やんなくてもいいのにね。(力なく笑う)志田なんかも、もう、あんなになっちゃった。(声しだいに小さく消えいる)  

石井:そういう自然破壊ということに対して、われわれは常に敏感でなくてはならない立場にあるわけだね。  
岡野:そうですね。サーファーは。  
石井:だけど、社会はそうではない方向にどんどん進んでいく。われわれはそのまんま、むかしの世界のなかにとどまりたいという感覚がどこかにあるけど、まわりはどんどん変わっていく。つまり現代社会は科学文明だから、その目指すところは絶えず、進歩ですよね。そうすると、われわれは一体どうなるんだろう。      



6:波乗りとエコロジー

岡野:サーフィンって、もっとも自然と調和するべきものじゃないですか。だから、言葉が見つからないと言ったけど、そこがスポーツとちがうところじゃないかな。だって、自然がなかったらサーフィンは終わってしまう。出来なくなってしまうじゃないですか。もっとも自然と調和するものとしたら、サーフィンはやはりその究極ですよね。サーフボードといえば今かっこいいけどさ、板のうえに立ってさ、うねりに乗るという極端に超自然的なものじゃないですか。でも、その波に乗るという快感はなによりも最高な快感だから、むかしからやっている連中はみんなやめないし、一度やめた連中でも帰ってくるひとは多いし、あの快感をひとたび覚えてしまうと・・・。  

石井:まあ、その快感というかエクスタシーの感覚的なことになると、またその表現がむつかしくなってくるけど、そのくらいわれわれが自然と一体になるということは、自分もまた自然の一部だから、そういうものが破壊されていくときに、それを社会問題として還元していくことが非常に難しい。自分も自然と一緒に、社会に破壊されてしまう。もっというと、サーファーは非常に受動的な人間です。だから、社会的な行動を起こせない。  

サーファーにとって、自然が破壊されることは深刻な問題である。しかも、それによって得られる豊かさは見せかけのものであり、自然とともにあった人々の従来の豊かな生活は、急速に失われていく。岡野教彦は、現代人は自らの果てしない欲望に「ここまで」という一線を引くべきだとするとともに、海岸線などの自然はそのまま残すべきだと主張する。なぜなら、自然を失う人間の嘆きは深く、根源的なものだからである。写真は、失われた鴨川の波。

Micky Kawai , " AKATEI " .
Photo : Asian Paradise

岡野:なまけ者なんだな。やっぱり、サーファーは。(笑)ほんとは、もっともっと行動を起こすべきなんだよね。
石井:だけどようく胸に手を当てて考えてみると、おれたちも随分ひどい環境破壊に手を貸してきた。これは本当にサーファー自身が反省すべき問題なんだけど、たとえばあのインドネシア。たった二十年まえまでは、原始さながらの生活があったのに、誰かがその波をみつけ、それをわれわれが雑誌に書いたり、映画に撮ったおかげで今、どうなった?その荒廃ぶりは、大輔がおれといっしょに見て歩いてるけど、まったくひどいものだ。この原罪は十字架に値する。観光開発という大義名分による環境破壊が、未開地域で深刻だよ。  

岡野:だからおれはその場所が、たとえばここならここが、いい意味で開発されて、いい意味で開けるということは、反対しないんですよ。別にここが古いまんまでいろとか、むかしのままでいろとか、そんな偏屈じゃない。発展してよくなるぶんには構わないけど、ただ海岸線とかは、自然そのままを残しておくべきだなというのはあります。
石井:おれはこの間、久しぶりに用事があって鴨川へ行って、唖然としたからな。あの景色を見たとき。なんだ、これは!  

岡野:・・・(笑)  
石井:むかしの<赤堤>の方向をバックに川井幹雄が立ってたけど、どこか別の宇宙空間に来たような、錯覚をおぼえたな。悪い夢をみている感じだった。(笑)  
岡野:ほんと。(笑)だって鴨川もそうだけど、一番極端に変わったのなんか、大原ね。むかしと全然ちがいますからね、もう。たまげちゃう。  

石井:さっきノリヒコが、波乗りは宗教だといえば、確かにそうでもあると言ったけど、じゃあ宗教は何かといえば、人間を社会が進む方向から、逆に向かわせるベクトルね。つまり、進歩することよりほかに能のない人間の知性に、歯止めをかけることなんだ。それは常に時代に逆行しますよ。さもないと、人類はこのまま滅亡してしまう。いまほど、宗教が重要な意味をもつ時代は、かつてなかったでしょうね。   

夷隅川河口から大原にかけて積み上げられた離岸堤。それは波打ち際から100ー150メートルほど沖に消波ブロックを積み上げて波を消すもので、ひとつ当たりの長さは約100メートル。開口部の幅が約50メートルで、一ケ所で使う消波ブロックの数はおよそ三千といわれている。これが全国で6000ケ所ぐらいあるというから、それは悲惨な景観を生み出している。そもそも離岸堤は、漂砂が少なくなり、海岸侵食が深刻になったため、波による侵食から砂浜を守るために造ったものであるが、これによって魚介類の沿岸漁業は決定的な打撃を受けた。しかも、波を消せばいいという単純な理由で造られた構造物によって、海浜が充分に保全されたかといえば、そうでもない。なぜなら、河川や海食崖からの流入土砂が、近年、減小の一途をたどっているからである。それはいうまでもなく、河川流域の開発や沿岸整備による自然破壊によるが、それと同時に離岸堤なる人工構造物に起因する沿岸流の変化が要因となって、漂砂のバランスが崩れているためでもある。(写真:『九十九里浜が消える!?』<海岸侵食と漂砂>=日本財団より)


7:怠け者(欲望の放下)
 

岡野:あの、海とか海岸のことだけじゃなくても、おれは人間というのは、ほかの動物とちがって一番いけないのは、<欲>ですよね。だからたとえば、新幹線で東京から大阪を今三時間ぐらいで行けるでしょう。むかしおれが子供のころ、大阪行くのは八時間とか、十時間かかったですよ。まあ、大変だったけども。ただ、今三時間で行けるんだったら、それでもういいじゃない。なにもほかの自然を壊したり、これ以上いろんなところをいじって、無理をしてまでも東京・大阪間を一時間にしなくてもいいんですよ。そう、思いません?(笑)もう、十分ですよね、三時間で。ここまでいいじゃないかって。それがないから、人間はいけないんですよ。  

石井:つまり、今いった人間の欲望というのは、果てしがないということだな。  
岡野:そうですね。それはぼくも人間だから、きっとそういう部分はあると思うけど、でもそれがある限り、自然はどんどんやられていきますよね。  
石井:人間の欲望というものが、何をいちばん妨げるかというと、外的な面ではいまいった自然破壊とかいろいろあるけど、内面的な自己に立ち返ると、それは人間の自由じゃないですか?  
岡野:そうでしょうね。欲望を満たすために、自分の自由を犠牲にしている。だから、東京の人間を見てると、ストレスがすごいじゃないですか。  

石井:ということは、サーファーになる第一条件は、欲望を捨てるということかな?  
岡野:欲望を捨てるということは出来ないと思うんですよ。そうじゃなくて、ここまでていうのをね。ある程度抑えておこうとか、そういう気持ちって、大事じゃないですか。  
石井:うーん。「足るを知る」ということか。おそらくそれは、岡野教彦のバランス感覚だろうね。取れてますよ、あなたは。波乗りはバランス感覚だけど、サーファーの実生活となると、意外にこれを取るのがむつかしい。よくもわるくも、極端に走る連衆が多い。だから、比較的バランス感覚の取れたノリヒコみたいなタイプのサーファーは、少なかったのではないかと思うんだけど。どうだろう?まわりを見て。  

岡野:どうなんだろう。自分自身そんなバランス感覚が保てる方かどうか、わからないですね。いま、石井さんからはじめて言われましたよ。そんな言葉。ありがたい言葉・・・。アハハハ・・・(大笑)  
石井:サーファーというのは、「自然児」といわれるくらいに、個性がつよい。そのつよさによって、かえって限界とか、限度を見失うことがある。個性というのは、べつの言葉でいえば、自我だから。それは欲望の発祥地ですね。欲望をコントロールできるのは、あなたが理性的だからかな・・・?  
岡野:どうかな(ため息)。(思いなおしたように)いや、そうじゃなくて、きっとおれは怠け者なんですよ。絶対!(笑)怠け者だから、つよい欲望をもって、必要以上にやっちゃうということがないだけなんじゃないですか。  
石井:なるほど。実をいうと、「怠け者」といえば、世間は否定的な意味に用いるけど、本当は非常にむつかしいことでね。欲望のつよい人は、怠け者にはなれない。だから真の怠け者は、欲望をすてた人であり、宗教的には「聖者」です。ただし、われわれの眼はたいてい節穴だから、怠け者と聖者の区別はつかない。一方、サーファーは怠け者だと、社会からは思われている。いま、ノリヒコが言ったことを、世間はそのまま受け取り、あいつは馬鹿だ、怠け者だという。それが社会です。つまり、それは欲望の世界だから、果てしない。世界を破壊しつくすまで、やまない性質のものなんだろう。人間が働くということも、現代の文明社会では、各個人の欲望を満たすという側面が非常につよくなった。  

岡野:そういうのはもちろん、生活するにはお金が必要で、それには働かなくてはならない。だからおれだって、そういう学校に通って、専門技術を身につけたりしたけど。でも、自分の生活を守るために、自然とかほかのものを壊したりしてまで、やる必要はないと思うんですよ。だって、むこうのサーファーたちは、そうやって質素に暮らしている連中、すごく多いじゃないですか。自分の生活は生活としてつつましくね。ただ、それ以外の大部分の人たちというのは、それで満足しないで、ほかのものに害を及ぼすようなことをしてまで、自分の利益にしようとする傾向がすごくつよい。このような考え方が国を発展させたり、レベルアップしているのだとすれば、結局、国はよくなりませんよね。かえってそのために、国がいまどんどん悪くなっている。決して、いい方向に向いてるとは思いませんよね。この国、この日本が・・・。(笑)  

物質文明の極限状況におかれた現代人には、勤勉であるより怠け者である方がむつかしい。なぜなら、怠け者は物質に対する欲望のもっとも少ない人たちだからである。一方、われわれの勤勉である理由は、他者の幸福のためより、自分の欲望ないし、身内の安楽を優先するからにほかならない。オーストラリアのななまけもの(樹懶)やコアラは、ユーカリの木さえあれば、とてもハッピーであり、あくせく働く必要を感じないていないようだ。ショーペンハウエルは『処世術箴言』のなかで、「対外的な利益を得るために対内的な損失を招くこと、すなわち栄華、栄達、豪奢、尊称、名誉のために自己の安静と余暇と独立 をすっかり、乃至、その大部分を犠牲にすることこそ、愚の骨頂である。」としている。

Photo : Asian Paradise

石井:それは日本に限らず、世界的傾向ですね。  
岡野:たぶんそれは、人間の限りのない欲望のために悪くなっていったんだと思います。みんながもっと、「ここまで」という一線をもっていれば、こういう風にはならなかったと思うんですよ。  
石井:イエスやブッダは、二千年以上まえに、このことに気がついていた。だけど、アメリカの大統領が、そんなこと言いますか?  
岡野:言わないですよ、絶対。  

石井:つまり、欲望は振り返らない。それはつねに、未来を見ている。だから、欲望はこの現在にとどまることが出来ない。今日より明日。あしたよりあさってというように、未来の生活をより快適にすることに心は奪われている。われわれの心とは、欲望のことですか?それはモノによって、価値判断を下す。  
岡野:そう。だけどそのモノを人間が追求することによって、この地球を蝕んでいる。  
石井:人間が地球を蝕むという認識は、人類の二十世紀に問題となり、わずか百年足らずで滅亡の淵まで来ちゃった。われわれそれに立ち会ってますよね。  
岡野:そうですよ。完全にね。じわじわ最初は蝕んでいるけど、もうここへきて、危ないですよということになった。で、一所懸命そういうふうに警告している人がいるんだけど、そういう人たちは、いわゆるそうじゃない人たちから見れば、怠け者のイメージですよね、絶対に!  



8:波乗りと身体  

石井:こういう危機的社会に生きている怠け者の岡野教彦としては、この直面する現在をどう生きていく?  
岡野:ぼくはだから、自分がいましている仕事をしながら、千葉で波乗りして、生活して、やっていければそれでいいですよね。そういう生活。  
石井:それが「波乗りの生活」だね。  
岡野:そうですね。波乗りをいつまで続けられるか。だっておれが、岡野教彦が波乗り出来なくなったら、自分自身が死んじゃったのと同じことだから。そう、思いますよ。  

石井:それは「死ぬまでやる」ということ?  
岡野:サーフィンですか。それはもう、もちろんです!・・・だから、自分で死ぬまでやるぞとか、そういうのではなく、たぶん死ぬまでやってるでしょう。だって、もう三十何年もやってきてるんだから。(笑)  
石井:あなたの仕事といえば、人間の身体に直接関係する仕事だけど、ノリヒコから見て、サーフィンと身体の関係はどう説明されるの?  

岡野:ぼくは自分自身これだけ波乗りやってきて、いろんなとこ怪我したり、悪くしてるし、・・・。だからサーファーを治療するのに、非常にわかりやすいですよね。どこが悪くなりやすいとか、自分で経験してるから、注意も与えられます。どういうことすると、どこが痛くなるとか、治療家としてもアドヴァイスしてあげられるし、波乗りの方からも指導してあげられるかな、というのはあります。  
石井:それはあなたの仕事の立場からいえば、他人を利するということで<利他の行>になるけれども、波乗りする身体ということでは、自分に対する行が必要になってくる。たとえば、サンセットでリップを食らったムチ打の後遺症はどう克服すればいい?  

岡野:後遺症として、こういうのは、残るのはしょうがない。まあ、自分も冷たい冬の海に入るから、なかなか実行するのは難しい面があるけど、基本的にはなるべくそういうところを冷やさないようにするとか、自分で気をつけるしかない。だから、ケアとか、そういう ことしかできません。この首をもとにもどすということは出来ない相談です。だいたい人間の身体は、とくに関節類とかは、一度ひどくこわしてしまうと100パーセント回復するのは無理ですからね。  
石井:おれはこの家のまえで、サーファーが上から降ってきて、首の骨を折る重傷を負って入院した。そこから波乗りできるまで立ち直るのに、死ぬほど苦労したけど、この首は一生背負っていくんだろうな。  

岡野:そういうのがあると、それからあとはどうしても、元どおりの状態は無理ですよ。かといって、痛みが出ないように護れといっても、それ全部まもっちゃったら、波乗りできなくなってしまいますね。寒い日はやるなとか・・・。  

岡野教彦の職業は、「ほねつぎ」。いままでは東京で治療にあたってきたが、これからは千葉で波乗りをしながら、サーファーの身体のケアにもあたるという。われわれのように、波乗りを生涯の道と考える者は、みずからの身体のケアに細心の注意を払うことはもちろんだが、いったんラインナップに出たら、いつ怪我をするかわからないのが波乗りである。その意味では、怪我に対する覚悟と同時に、「不死身」の身体が要求される。ワイメア・ベイの公園を松葉杖でポイントに向かうジム・バンクス。

Photo: Asian Paradise


石井:妙なこというけど、こないだ一年四か月ぶりに奇跡的な復活をとげた横綱の貴乃花(30)ね。まあ、ノリヒコは両国だから相撲取りの消息には詳しいだろうけど、自分の怪我についてひとことも話さなかった彼が、場所後、面白いことを言ったね。つまり、手術をするほどの怪我をヒザに負った貴乃花が、それを治そうとする一念でいたところ、意識の底の方からジワジワと怪我を治そうとする力が湧いてくるのがわかったという意味のことを話してたけど、あれは自然治癒力のことを言ったんだろうな。その一念の。  
岡野:そうですよ。だから、ぼくなんかでもたくさん、いろんな患者をあつかうでしょ。やっぱり自分ですごくはやく治すんだ、治したいという意志のつよい人は、治りもはやいんですよ。で、ああもう駄目だ。要するにネガティブな人ね、こんな怪我しちゃっておれはもう治らないんだというように弱くて、非観的な気持ちの人は、やっぱり遅いんですよ。だからスポーツマンは、怪我しても割とはやく治るし、ある程度パーセンテージも高い確率で治るのは、やっぱりその力がつよいんですよ。治してまたやりたいという力が・・・。  

石井:その気持ちがまず大事だと。  
岡野:大事です。人間の治癒力。人間じゃない、動物はもっとつよいです。だから、犬なんかちょっとした怪我でも、すぐ舐めて治す。あれだって、一所懸命なめて、いわゆる自然の治癒力を出しているんです。だからぼくなんかの治療というのは、基本的にはずれたところをもとに戻してやるとこまではわれわれの力ですけど、もとに戻しただけでは治らないんですよね。まわりの傷めたところを治して、これを促進してあげることの手助けをするだけであって、本当の意味で治していくのは本人なんです。  

石井:まあ、波乗りの生活ということを、ノリヒコの仕事から見て、われわれの肉体との関係でとらえて、これを大事にしなくてはならないのはもちろんだけれども、最近スリムになって、波乗りも調子がいいみたいだね。体調がもどったの?  
岡野:体調はいいです。ほら、太ると痛風が出ちゃうから。(笑)だから、気をつけて。  
石井:おれは太ったことないからわからないけど、あれは、なんで太るの?  
岡野:やっぱり、だらしない生活ですよ。飲んで、うまいもの食って、間食して・・・。あと、運動不足。(笑)  

石井:その点、これから年齢的にも食べるものとか、節制という意味からも、すごく大事になってきませんか。
岡野:ぼくなんか、とくにそれが大事なんですよ。本当はもっと、ちゃんとやらなければいけないんだけど・・・。それこそ、根が怠け者だから。(爆笑)  
石井:これからそういう面でますます負荷がかかってくる。  
岡野:そうなんですよ。年いってくるとね。ほんと、それは言えます。あまり必要以上に栄養をとるのは、よくないですよね 。  
石井:栄養は、むしろ足りないぐらいでいい。おれの食生活は、きわめて貧しいものだけれど、波乗りに支障をきたすようなことはないです。  

岡野:なんかね。石井さんがそういうのやってるって、大輔から聞いたけど・・・。  
石井:それは、さっきのノリヒコじゃないけど、余っているより、むしろ足りないぐらいがいい。これは<原理>ですよ。だから、なんにでも当てはまる。食物にしても、なんにしても・・・。それを、食でいえば、節食です。すなわち、「かすみを食う」ことだ。  
岡野:その方が、食物を入れたときに、必要なものを身体がよく摂取するんでしょうね。必要以上にとって、充分であると、常に食を入れても、今度ほんとに必要なものを、身体が受けつけなくなってしまうかも知れませんね。  

石井:おれは波乗りいくらやっても疲れないんで、こないだ蛸に会って聞いたら、波乗りは疲れます。最近、年とってきて、とくに疲れますと言ってたな。どういうわけだろう。  
岡野:最近、蛸も太ったから。ハハハ...。(笑)  

石井:ノリヒコは、どう。最近、体力おとろえたと思う?  
岡野:それは、そうですよ。だっておれは、ちゃんとしたこと、別にしてないから。やっぱり正直いって、体力のおとろえは、これはもう感じていますね。一緒になって、いまのズッチョなんかとやれと言われても、それは出来ないですね。ただ、同年齢の一般の人とくらべれば、はるかにおれのが体力あると思う。  

石井:それは、そうだろう。だって、こないだの台風(21号)のあと、蛸と二人で第一集団を形成して、うちのまわりの若い連衆は第二集団で、おこぼれ頂戴だったから。  
岡野:ああ、志田で? それはそうですね。どこへ、行っても。(笑)  
石井:といことは、やはり、負けてないということだね。  
岡野:うん。

松部のチューブをチャージする岡野教彦。いまも、松部の主要メンバーのひとりである。

Photo from Surfing Classic



9:波に乗るやすらぎ  

石井:やっぱり若い連衆は、ノリヒコのような波乗りを、見たことがないんだろうな。いまは、ある意味でみんな、波乗りが同じだから。  
岡野:それは、いえますね。  
石井:あまり褒めるのもなんだけど、ノリヒコがビリー・ハミルトンのトラックスに魅せられたように、むかしから波乗りのラインを大事にしてたよね。  

岡野:いまでも、ぼくはラインをすごく大事にしますね。こないだも鴨川で全日本があったとき、ぼくは出なかったけど、サンドバーのひとつで波乗りしてたら、ジョージ君(藤沢譲二)が同じことを言ってくれた。「ラインがちがうよ。ラインがきれいなんだよ。」って言ってくれたけど、それはおれにとって、すごくうれしいことなんですよ。  
石井:きれいなラインを出せる秘密はなんだろう。レールの使い方?  
岡野:レールですね。レールと、ラインをきれいに出せるというのは、やっぱり波の場所なんですよ。波のへんな場所を使っても、きれいなラインは絶対出てこない。ここっていうところがあるんですよね。ラインをきれいに出すには。  

石井:それは、波を読むという、またひとつ特殊な能力だな。  
岡野:かっこよく言えば、波を読むことによって、ラインの出せる場所がわかる。  
石井:それが、波乗のセンスだね。  
岡野:そう、思いますね。センス。  
石井:口でいうのはやさしいけど、センスには素質が要求されるから、先天的・本質的な部分が、かなりのウエイトを占めてくる。  
岡野:サーフィンがうまいやつというのは、ロングボードであれ、ショートボードであれ、そのわざやテクニックより、いかにその波を上手に、いかにその波のいい部分をそのポジション、ポジションでうまく乗るか。それがサーフィンのうまいやつだと、おれは思うんですよ。試合で勝つとかね、ホットにがんがんやるとかじゃなくて。

石井:そこまで深く波乗りを見てゆくと、それはすなわち波とサーファーの調和という問題に行き着いて、サーフィンは時代を超える。波乗りをスポーツとしてみれば、その時代によって道具が違うように、その目指すテクニックも、時代により変遷する。だけど大自然の波は本質的で変わらないものだから、その根源的なところで見れば、波乗りは時間を超越している。サーフボードはおもちゃだと言ったけど、ノリヒコにとって波とは何だろう。  
岡野:・・・。波って、なんだろう・・・?  

石井:波乗りやってて、よかったと思うのは、どんな時?  
岡野:チューブに入っているときとか、そういうのじゃなくて?(笑)  
石井:もちろん、それも、そうだろうけど。波乗りをしている自分という以外に、自分の存在は考えられないわけです。さっき、そう言ったよね。  
岡野:考えられないです。  

石井:だけど、波というのは自分じゃないよね。  
岡野:自分じゃない。  
石井:そうすると、自分と波との関係とは、いったい何だろう?  

石井:わかった!波はね、ぼくの子守り役かな。(爆笑)その間に、サーフボードというおもちゃが、あるじゃないですか。・・・だって、波に乗っている時って、まあ海に入っていること自体がそうなんだけど、波に乗ってるときは、ある意味で心がすごくやすらいでますよね。なんにも、余分なことを考えてなくて。本当に、素直な自分じゃないですか。そういうふうに考えると、自分をすべて委ねているもの。だから、子守りじゃないですか。アハハハ・・・(笑)  

石井:いいこと言うじゃない。やっぱり、その<やすらぎ>が究極だろうな。  
岡野:うん。そうなんです。だから、デッカイ波に乗って、あんなのやすらぎじゃないって言われるかもしれないけど、やっぱり、やすらぎなんですよね。波が大きかろうが、小さかろうが、波に乗っているときは、やすらぎなんですよ。その<やすらぎ>というのは、言葉がおれはうまく言えなくて、ほかの人ならもっとうまいこと言うのかもしれないけど、要するに自分がいちばん自分であって、ただなんにもない、素直な自分である時じゃないですか。波に乗ってる時って・・・。  
石井:それ以外の言葉を探しても、そうはないと思うな。やすらぎというのは、たった今この瞬間にくつろぐことであって、英語でいえばリラックスだよ。最近は" heal " ( 癒す )という言葉が流行して、ヒーリング(癒し)がトレンドになっているけど、それは全体つまり " whole " と一体になること。宇宙とひとつになることで、波とひとつになることは、その究極の行為だよね。ノリヒコは波に自分のすべてを委ねているから、波に乗ったときに素直なやすらいだ自分になれるのであって、その瞬間、なにひとつ欲望のようなものは存在しない。欲望がないということは、エゴがない。つまり、自然と対立する人間のエゴをなくすことが、波と一体になるためには大事なことで、教彦がいう「怠け者」とは、このむきだしの欲望、人間のエゴをやわらげて、自然の子守唄を聞くことなのかな?      

岡野教彦は、つねに、自分の言葉で語ろうとする。サーファーとは何かの質問に、彼が「なまけもの」と言って自分を表現したとき、そのひとことに込められた「なまけもの」という言葉の意味は、サーファーを定義する彼自身の言葉になっていた。そしてここでは、波乗りが「やすらぎ」に、波そのものが「子守唄」で表現されている。それらの言葉に内容を与えているのは彼しかなく、したがって、岡野教彦という存在を離れては、言葉が何も意味しない。それが、「彼のことば」という意味である。岡野が、このように言葉の独自な用い方によってのみ自分を語ろうとするのは、その存在が他者を離れて成立しているからであり、筆者は、そこに彼の<実在>を見た。多くの人間は実在しない。なぜなら、彼らは他者の「間」に生きているからだ。自分が一個の存在として、波とひとつになるためには、この他者から解放されなければならない。ところで、彼はこの対談において、人間の慾望に「ここまで」という一線を明示した。いったい、なぜ、彼にそれが可能だったのだろうか?・・・それは、欲望がマーヤーであることを、波乗りによって、彼が知ったからであろうと筆者は思う。なぜなら、波乗りは、マーヤーでなく、<リアリティ>だからである。

Norihiko Okano , Kaifu . Photo : Asian Paradise



10:波乗りとリアリティ  

岡野:あの、おれが波に乗ることは、もう空気を吸うのと一緒で、何々を得るためとか、何々のためにというようなのは、全然ないんですよ。波乗りするのに、そういう前置きは一切ないです。  
石井:どうしても、そこへ行くだろうな。だって、「・・・のために」というのは、それを考えている自分の妄想分別がまだ落ちてない自己の段階であり、それを落とさない限り、あなたは波の上でやすらぐことができない。だけど、波に乗るとき「・・・を得るため」という前置きがいっさい無いということは、波とあなたの間に境界がないということだ。だから子守唄が聞こえる。  

岡野:かっこよくいえば、そうかもしれない。うん。(波と)一緒になってる。  
石井:そのときには、<自分>が消えている。そのとき、欲望を感じる?  
岡野:ないですね。それは、いい波に乗るというあれは、ありますけど・・・。  
石井:乗ったときには、消えている。  
岡野:何も、考えないですよね。  
石井:そのような瞬間は、日常生活では、まずあり得ない。だからぼくは、波乗は<非日常>(リアリティ)だ、と言っている。日常生活におけるわれわれの心は、一瞬も休むことなく、妄想をつくりだしている。  
岡野:だから、一言でいえば、最高に気持ちいいわけじゃないですか。  

石井:この表紙(SC July 1981 Vol. 2 No. 4 ) を見ても、教彦はテイクオフからいきなりチューブに入ってますよね。  
岡野:はい。  
石井:このときの感覚というのは、波とひとつになっていると思うんだよ。  
岡野:そうです。完全にね。そのもう、一連の動作がね。要するに、波とひとつになってないと、そういう動作というのは出来ないんですよ、絶対に。こうして、次ぎにこうしてああしてなんて、考えてやれる動作じゃないですから、ああいうのは…  

石井:そういう瞬間をわれわれが見るとき、おたがいサーファーというのは眼に焼きついて、そこに<神的>なものを見ない?  
岡野:ありますよね、絶対に。それはもう、つよいです、きっと。サーファー同志は。  
石井:人間が神に見える瞬間がある。その瞬間が、<リアリティ>だろうな。たとえば、食らう瞬間に見たビリー・ハミルトンね。そこに存在してたものは何だ。  

岡野:そうだよ、だってさあ、いまだに眼に焼き付いているんですからね。あのきれいな手のかたちと、あの板がキュッとなった一瞬の、シューッというあれが。  
石井:消えてないんだろ。  
岡野:消えてないんですよ。(真顔で)  
石井:不思議だな。  
岡野:あの、瞬間・・・。潰される瞬間に見たあれ!(笑)すごいですよね。そういうものみせてくれるビリー・ハミルトンのすごさ!  

石井:それがノリヒコのなかで、永遠になっているわけだからね。  
岡野:そうですよね。  
石井:だって、消えてないんだから。  
岡野:消えてないですよ。  

石井:ということは、そこには時間がないということになる。  
岡野:そうです。  
石井:時間はそこで止まり、消えている。それは時間の存在しない、どこかほかの境界に移されたわけだ。  
岡野:その瞬間、きっとぼくは、どこかちがうとこへトリップしてたんでしょうね。だからあれは、ビリー・ハミルトンを見ちゃったから、リップくらったんでしょうね。  

石井:ドロップ・インされて畜生と思うまえに、魅せられちゃった。  
岡野:その時にリップを気にしていれば、首はやられなかったけど、ビリー・ハミルトンのあれは見れなかった。あれがほかのやつだったら、リップを見てますよ。(笑)  

石井:首はやられたけど、恨んでない。  
岡野:全然、恨んでないです。授業料かな。(笑)      

岡野教彦にとって、波乗りは、「空気を吸うのと一緒」になっていた。さあ、たいへんだ。われわれの呼吸は、ふつう、無意識のうちに行なわれている。彼は、それを意識して行なうのである。無意識が意識になるとき、われわれは、それを称して覚醒という。 波乗りとは、この覚醒である。それは瞬時にやってきて、そのなかの或るものは、すでに永遠になっている。岡野にとって、波乗りが呼吸と一緒であることは、生きていることと一緒だ。それは欲望ではない。だから、彼はこういう。波乗りすることのまえには、一切の前置きがない。「何々のために」という、前置きがない。波乗りによって、「何々を得る」という慾望がない。

欲望は、物を要求してやまない。それがわれわれの「価値」であり、「メリット」である。物はいかなるものも、やがて、ゴミになる。われわれの一生は、ほとんどゴミ集めに等しい。価値とは物のなかにあるのではなく、われわれの欲望のなかにある。それはゴミと一緒である。つまり、この欲望に、このゴミ集めに、一生振り回されないのが、岡野教彦の「なまけもの」だ。そこには、<やすらぎ>がある。ここまでくれば、すべてのテクニックは二の次だ。波に乗る動作まで、自然と一体になる。ここで彼は、その究極であるチューブ・ライディングを、ひとことで述べてくれた。すなわち、「一連の動作が、波とひとつになっていなければ、そういう動作は出来ない」。そこには、欲望を満たすべき人間が、すでにいないのである。

Norihiko Okano , K aifu .
( 「サーフィン・クラシック」 JULY 1981 . VOL. 2, NO. 4 の表紙による )


11:青田琢二のすごさ  

石井:B. K. とかいうけど、やはりビリー・ハミルトンなのかな?教彦は・・・。  
岡野:そうです。だってB. K. は、とてもじゃないけど、ぼくには出来ないことをやる人だから、ボトムターンとかね。ただ、憧れというか、とにかくすごい人という。  
石井:圧倒的な存在感。  
岡野:サンセットでボトムターンしてるB. K. 。もう、それだけでいいですよ。  

石井:不器用に見えるスタイルなんだけど・・・。  
岡野:B. K . なんか、はっきりいって不器用ですよ、メチャクチャ。あの人、だってカットバックしないですもん、全然。だけど何がすごいって、その不器用のすごさ。カットバック必要ないですもん。カットバックするようなところに行かないから。  
石井:だから、出来ないという噂もあったぐらいだ。  

岡野:だけど、必要ない。確かに、あの深いボトムターンして、あのすごい位置にもっていけば、カットバックいらないですもん。  
石井:エディ・アイカウは、まだ少しはしてたけど、クライドはしないでしょう?  
岡野:しない、しない。クライドも、不器用。(笑)だけど、必要ないですもん。サンセットでやってる分には、確かに…

石井:日本人では、誰? 影響与えたのは・・・。  
岡野:うーん。これはもう、川井幹雄は絶対ですよね。それから兄貴。これは、ある意味で道しるべ。あと、ほかに影響与えたというのはね、青田琢二!これは、いい意味での、ぼくの目の上のたんこぶ。やっぱり、ぼくは性格的に子供のころからコンペティティブだったから、<日本一>になりたい。ナンバー・ワンになりたいというのが、すごく強かったんですよ。だからほかのものなんかどうでもいいけど、サーフィンに関しては、おれは絶対に一番の人間になるというのがあった。でも、その人間において、年のちかい青田琢二が最大のライバルだった。ほかの人はもう年がずっと離れてたけど、青田君がそれでも一番としが近かったから。  

石井:波乗りはうまいし。  
岡野:すごい波乗り。  
石井:・・・  
岡野:あのころの青田君の波乗りをひとことでいえば、「スゴイ!」ですよ。もう、うまいとか、どうのこうのじゃなくて、すごい波乗りするなみたいな。  

石井:どこで、一番すごいと思った?  
岡野:ボトムターン!ぼく自身も、川井幹雄や兄貴の波乗り見て影響受けて、ボトムターンをすごく大事にしているサーファーだから。  
石井:青田を見たと思ったのは、どこ?  
岡野:新島です。新島の、あの青田君が優勝した年(1970)。全日本ジュニアで。あのときの羽伏でのボトムターン。  
石井:・・・。                                

岡野:青田君のボトムターンの伸び!あれに、おれはもう、驚かされた。  
石井:あの人は、だから、ほかの人にはちょっとない雰囲気をもってるね。  
岡野:もってますね。それも魅力です。  

ノリヒコの最大のライバル青田琢二のフルレールのボトムターン。1979年10月18日、湘南のシークレット・スポットにて。

Photo : Surfing World

石井:あの落ち着き払った雰囲気はどこからきてるのだろう?  
岡野:・・・。  
石井:ヒロミチがやはり、全日本のジュニアに優勝してノリヒコたちの後から出てきて、プロで活躍してたころだな。一時、スランプに陥ったかなにかで、「無念無想!」と言ったことがある。どこで聞いたか知らないけど、すごく似合わないんだな。その言葉の意味するところと、添田のもっているものが、ちがいすぎて。だけど青田なら、その「無念無想」がピッタリくる。そう、思わないか?  

岡野:そうです。ほんと。(笑)  
石井:不思議なひと?  
岡野:青田君?・・・不思議!  
石井:どういうとこが?  
岡野:どういうとこと言われても、なんか、つかみどころがないじゃないですか。  
石井:・・・。  

岡野:むかし新島に行くと、ディスコっていうのは、一軒しかないんですよ。だから、夜になるとみんなでそこに集まるんですよ。みんな酒飲んで、がんがん大騒ぎしてさ。カッチンとかカオルとかわいわいやってさあ。青田君ひとりでカウンターで、ラーメン食ってる。 (爆笑)  
石井:大輔からみて、ノリヒコは、どんな感じなんだろう。よく、師匠とかいうけど。  
大輔:「親戚」にちかいものがあるんじゃないですか。  

岡野:ダイスケはもう、師とかそういうのじゃなくて、おいっことか、弟という感じ。それこそ、ベビーのころから知ってるし。(笑)  
大輔:で、サーフィンとしては、東京という、上品さをもってたというようなのが、ずっと続いてた感じがありますよね。上品で、ニヒルな感じ。  

石井:ニヒル。  
大輔:はい。あまりつるみもないし、一人でずっとやってるようなところがあるから。  
岡野:ニヒルかね。かっこいい言葉にしてくれたじゃん。(笑)  

大輔:たぶん、そういう感じじゃないですか。ニヒルですよね。  
石井:そういうところに影響されたのか、ダイスケは。  
大輔:たぶん、そうかも知れませんけど、あの、あんまり・・・。  
岡野:ダイスケも、あまりつるまないもんな。  
大輔:ええ。ズリズリしてないような感じが、自分のなかであるから。  

岡野:だから、ダイスケの時代のサーファーのなかで、やっぱりダイスケは雰囲気がちがうというのがあるんじゃないかな。そこがさあ、女の子に人気があるとことか、そういうのなんかもダントツじゃないですか。ほかの、サーフィン以外のところがダイスケの才能に目をつけたりするのも、そういうとこにちがいを感じるんだろう。ダイスケの場合。  



12:湘南のサーファー
 

石井:青田は、湘南だよね。ノリヒコにとって、湘南というと?  
岡野:千葉のライバル!青田君がいて、そのあとヒロミチが出てきて、そういう感じ。  
石井:抱井(保徳)が十代で千葉から湘南へ行ったことは、ある意味で、波乗りの歴史を変えた。そういうインパクトだったと思うけど・・・。  
岡野:そう、思います。うん。抱井が千葉にいたら、変わってたと思います。あれは、面白い現象だったよね。それについてマメ、オガマも行っちゃった!おれは、さみしかったけどね・・・。川井門下生のおとうと弟子だけが、みんな湘南に行ってしまうのは。なんでおまえたち、みんな行っちゃったんだろうというのがあった。すごく。ただ、そのころにおれには最高のバディが出来ましたね、蛸という。あれで蛸が出てこなかったら、本当におれはもう孤軍奮闘してるところだった。  

石井:やっぱり蛸は、バディなんだ。  
岡野:バディです。もう、最高のバディです。最高の友達ですね。  
石井:いいね。そういう友達をもてるということは。  
岡野:それは、すごい幸せだと思う。  

石井:普通、そんな続かねえぞ。なかなか。  
岡野:だって、ぼくと蛸だって、ここんとこ、そんなしょっちゅう会ってるわけじゃないですからね。空いてますからね、おたがいに。空いた期間がすごくある。でも、すごくうれしかったのは、ぼくが従兄弟のケンつれてハワイにね、久しぶりに行ったんですよ。それまでも、遊びでちょっとは行ってたけど、それこそ十何年ぶりに、本格的にノースをやるつもりで行ったんです。そのとき、いちばん喜んでくれたのは、蛸なんですよ。もう、行った晩に孝男(久我)つれてきて、「ノリヒコよくノース来てくれたな」みたいにさあ。それで、そのときちょうど孝男が怪我してて、孝男の首なおしたりしてあげて、次の晩いとこと四人でディナ−に行ったりね。ちょくちょくお互いの部屋いったりきたりして、一緒にサンセットへ波乗りしに行こうとかさ。おれが帰る日だって、朝はやい飛行機だから、ノースがまだ真っ暗な時間に支度してるところへ、蛸が来てくれたんですよ。・・・おたがい千葉で刺激しあってサーフィンやってたころのように、むかしのまんまの関係しかないですね。  

無念無想で試合に臨む青田琢二。

Photo : Sufing Classic

石井:抱井とも、こなだ話したら、千葉がなつかしいみたいで、いつか戻ってきたいような感じだった。  
岡野:うん。ある程度としとってくると、そういう風になるんじゃないかな。だって、オガマなんかも、ちょくちょく鴨川に戻ってきて、鴨川でシェープしてるらしいもんね。でも、抱井たちは、湘南に行って正解だと思いますよ。  

石井:なんで。  
岡野:だって、あのころ、千葉にはサーフィンのしっかりしたものがなかったじゃないですか。鴨川あたりなら、ミッキーのところ以外に。今みたいにあちこちにないから、やつらは湘南に行かなきゃ駄目だなと、きっと思ったんでしょうね。  
石井:ミッキーは、そういうタイプじゃないから。  
岡野:そう。ミッキーはそういうことで人を育てるタイプじゃない。波乗りでは、あれだけど・・・。だから、もしあの当時、ミッキーがタイプ的にそういう人間だったら、すごいですよ。だって岡野教彦いて、抱井がいて、増田昌章、小川昌男、これ抱えてたらスゴイですよ。(笑)  

石井:そうだけど、ある意味で蛸なんか、そういう方向に行ったよね。ヒロミチと。  
岡野:そう、そう。  
石井:その辺のところは、どう?  
岡野:どうって、これは、川井幹雄という人が、またすごく特殊な人だから。そういうタイプじゃない。あと、世代のちがい。蛸とか、ヒロミチの世代になってくると、サーフィンの現象的なものでも、社会的にすごく変わってきた。あの第一世代の連中と、とらえ方が多少ちがうと思うんですよ。で、おれのサーフィンのとらえかたは、第一世代のひとたちにちかいんじゃないかな。  
石井:たとえば、青田なんかは全然、そういう方向へ行かなかった。サーファーとして、またシェーパーとしても、一流なんだけど。  

岡野:会社おこして、人を育ててというのではない。あの人は、本当に一匹狼ですよ。ブレない、絶対に、あの人は。  
石井:ぶれない?  
岡野:ひとと一緒にとか、そういうのはないですよね。  
石井:群れない?  
岡野:うん、群れない。  
石井:そういうところで、やはり、カリスマ性というのがあるのかな?  
岡野:青田君はすごいですよ。



13:抱井のカリスマ性
 


石井:そうすると、川井幹雄も、カリスマ的ということになるのかな。(笑)  
岡野:どうなんだろう。  
石井:ちょっと、ちがうか?
岡野:うん。おれね、ミキさんの場合、またちょっとちがうんですよね。そういうカリスマ的な感じじゃないんだよな・・・
 
石井:青田はカリスマだけど。  
岡野:青田君は、カリスマ!  

石井:抱井はどう?  
岡野:抱井はね・・・。カリスマ的ということでいえば、おれは、マメの方がカリスマ的 なんですよ、抱井より。  
石井:ほう。  
岡野:抱井はね、カリスマとか、そういうのじゃないですね。抱井は、抱井でまた、全然ちがう個性ですね。  
石井:だけどね、うちに来るメールとかを統計的に見ると、「好きなサーファー」のところで、「抱井」というのが案外多いんだ。  

岡野:多いでしょう。  
石井:なぜ、だろう?  
岡野:だから、そういう人たちにとって、きっと抱井はすごくカリスマ的に見えるし、カリスマなんですよ。でも、おれの眼から見ると、抱井はそんなにカリスマ的な人間じゃないんですよ。もっと、ちがう個性。
石井:マメをカリスマというあたり、見方が深いね。  

岡野:うん。増田昌章はカリスマ性。(沈黙)  
石井:どういうところが。  
岡野:なんにも、気にしないところ。  
石井:・・・。  

1982年6月、グラジガンのキャンプで、増田昌章(左)と一緒に、夕食の魚をさばく手前を見まもる抱井保徳。おもしろいのは、川井幹雄門下生の兄弟子として、岡野教彦が彼らを見る、観察の独自性である。岡野は師匠の川井はもとより、一般的にはそう見られている抱井をもカリスマといわず、小川昌男を含めて、この四人のサーファーの中でそれにもっとも遠い存在に見られる増田を、ただひとりカリスマとして挙げていることだ。そこでわれわれは、サーファーの<カリスマ>性に対する定義を、あらためて考え直すのである。そこで大事なのは、彼らの実像を直接知ることであり、映像や文章にによって表現されたいわゆる虚像によって、判断すべきではないということだ。この対談を通して、岡野が述べていることはすべて、かれ独自の知覚によるもので、それ以外のいかなる夾雑物も、その世界には入り込めない絶対的体験である。

 Photo from Asian Paradise

岡野:自分をまったく、飾るようなことしない。あんな、飾らないやつはいないよね。  
石井:そこまでは、ふつう見れない。  
岡野:だから、ふつうから見れば、抱井はやっぱりカリスマ的なのかもしれないですね。ああいう感じで。でも、おれは抱井は、そのカリスマ以外の、言葉では言えない性質のもの。抱井がもってるのは、そういうものだと思うな。  

石井:あいつの子供が、この志田で大会に出てるのを、抱井が一所懸命に応援している姿を見た時にね、どうもピンと来なかったんだよな。  
岡野:そういうタイプじゃないですよね。(笑)  
石井:・・・。(笑)  

岡野:応援するより、子供は大会やってるけど、こっちで自分は勝手に波乗りやってるような。(笑)  
石井:それが、実に子煩悩でさ、子供が行くところみんなついて廻ってるらしい。  
岡野:・・・。  
石井:あいつが結婚して、子供がいること自体、おれはちょっと信じられないし、ロペスもそうなんだよ。  
岡野:うん。たぶんね、おれはもし息子がコンテストに出るようになったら、一緒にはついて行くけども、波がよかったらきっと、自分が波乗りやっちゃうタイプでしょうね。               


14:トータル・コミットメント  

石井:おれは子供の教育に関しては、ひとこともなくて、抱井なんかにいわせれば、おれに女房・子供がいるほうが不思議だといわれそうだけど、もうここまで来るとこれで押していくしかないわけだ。いままでも、そうだったし・・・。だから人の親らしいことも、亭主らしいことも、まったくしたことがないわけで、よくここまで生きてこれたと思う。だけど生きてこれたというのは、ひとつの思いがりで、実際は生かされているだけなんだけだど、それは実にありがたいことである。これでもし、なにか文句があったら、それはおかしい。なぜなら、自分ひとりで得たものなんか、何もないんだから。これはもう、感謝と祝祭しかないわけだ。一日一日が。波がいいとか、わるいということもない。ノリヒコじゃないけど、すべてを委ねていく。自分の生命もなにもかも。

 それが、波乗りでいう<トータル・コミットメント>ということじゃないのか?全面委任だ!波にすべてを、あずけるんだけど、同時に生活もすべてあずけてしまう。実は、こんなことされた日には、家族はたまったものではない。ある種の宗教が妻帯を禁じているのは、もっともなことで、家族や社会はあなたが根源と一体になること、波(自然)とひとつななることを望んでいない。波乗りの宗教的な神秘は、あなたを魅せるから、家族は悲しむことになる。かといって、それは家族と一緒に楽しむ性質のものではないような気がする。家族の幸福という地上的な絆も、ある種の幻影であって、本質はやはり<無常>であることにかわりはない。波が子守唄に聞こえるというのが、すでに尋常じゃなから、波に乗ってやすらぐというとこまで行ける。君は今も絶えず笑って、人に気づかれまいと必死になっているが、それは一種の悟りではないのか?  

岡野:うん。波乗りしてるんだもん。ハッピーですよ。  
石井:波乗りは、偉大だ!  
岡野:偉大ですよ。おれにとって、波乗りほど、偉大なものはないですよ。  
石井:波乗りが、生きる力を、与えてくれてるのかな?  
岡野:ああ。やはり、そうでしょうね、きっと。波乗りすごくやってるやつはみんな、それ、あると思いますよ。波乗りする力を、与えられているというのは。だから、それがさっき言った、人間の治癒力とか、そういうものになるじゃないですか。波乗りしたいために、からだを治す。波乗りするために、からだが悪くならないようにする。そういう力って、結局、すごくつよいじゃないですか。だって、痛風が出て何がつらいって、痛風の痛さより、海に入って波乗りできない期間の、このつらさが一番つらいもんな。何よりも。  

トータル・コミットメントの<トータル>とは、全体とひとつになること、すなわち「全一」を意味する。全体とは、大きくいえば「宇宙」のことである。つまり、全一(ぜんいつ)とは、自分と宇宙が融け合って、宇宙と一体になることだ。また、コミットメントとは、辞書で引けば、まず第一に「委任」という意味であることがわかる。そこで、トータル・コミットメントとは、直訳すれば「全面的委任」ということになる。しかし、これでは何のことかわからない。全体とひとつになる全一(トータル)とは、それ自体ヒンドゥーでは、アートマン(自我)とブラフマン(梵=宇宙的真実)の合一という究極の境地を表わしているが、ここに自己存在のすべてをそれに委(ゆだ)ね、任(まか)せてしまうこと。これが委任である。波乗りでは、<トータル・コミットメント>という言葉をつかう。これは、波と自己の深い合一体験のことだ。たとえば、この写真でいえば、崩れ落ちてくる波頭にボードごと当てこんで、まず自分と波が一体になる。その瞬間、自分が消え、自我が消え去ると、トータル・コミットメントが起こる。すると今度は、波に完全委任してしまった自分が、その波の力によって、何もすることなしに全てを成就するのである。自分の力ではない。宇宙的諸力に全てをまかせればよいのである。

Norihiko Okano , Matube .
Photo : Asian Paradise

石井:まあ、ノリヒコとかおれも、こうして目立たずに、人一倍波乗りはやってるわけだけど、そういう意味では、青田とかフー(渡辺文好)のように、あれだけのサーファーがおもてに出ないで、沈黙を守っているのは奥ゆかしい。  
岡野:おれは、それはそれで、そうやって出てこない人がすごく好き。  
石井:おもてに出るよりも、出ない方が、むつかしい?  
岡野:おもてに出るのは、簡単ですよ。はやい話が、お金つかってさ、宣伝するときに、自分をつかってくれ、自分を出してくれって、言えばいいんだから。簡単に出られることじゃないですか。  
石井:おもてに出ることよりも、出ないことに重きを置くということでは、この両者において、波乗り対する考え方に決定的な違いがある。いま、ノリヒコが言ったことでは、おもてに出るひとはお金だな。波乗りを、お金の側面から見ている。つまりおれたちは、おもても裏も知ってるから両方わかるけど、おもてに出てることしか知らない人たちというのは、波乗りの大半を見失うことにならないか?  
岡野:たいていの人は雑誌とか、そういうのでしか見たことのない世界だから、どうなんだろう。でもさそれは、無理もないですよね。だって、それしかないんだもの。実際に、生でその人を見ないかぎり、・・・。  

石井:だけど実際、波乗りのカルチャーというのは、いまいったトータル・コミットメントもそうだけど、表面にあるファッションではなく、内面のすごく深いところから湧きでてくるものですね、その源泉は。だから、表面に出ていることではなく、実際はおもてに出ないかくれた部分に、真実というのものは表われている。いまのような現代社会の仕組みでは、人間はますます真実から遠くなり、人間がモノとなり、モノとしての人間は機械以下の能力しかもてない。人間性は風前の灯だな。メディアが真実をはきちがえている。  

岡野:だって、現役のプロでバリバリにやってる子なんかでも、自分が雑誌とかいろんなので見たものごとと、おれの話したことの真実のちがいに、ものすごくショック受けてた。 
石井:大輔のように産湯のころから、波乗りにドップリ浸かってるやつが、ノリヒコにまくられておれのところへ来たぐらいだから、バリバリといっても並みのプロじゃ無理だ。  
大輔:波乗りにたいするノリさんの勢いが、ワーッと半端じゃない気がしてるから、やっぱり。あの、サーフィンに覚醒してる勢いは、すごいなと・・・。  
石井:そうやって、波乗りに急激にのめっていくということは、きのうきょうはじめたグロメットじゃないんだから、いまダイスケが言ったように、波乗りの覚醒作用が極限にきている可能性がある。第一、このおれがそうだもの、春先からずっと。


15:マスコミの貧寒  

岡野:もしかしたら、これから見えるのかもしれないですね。いま、石井さんから、はじめていわれたけど。まだ、自分では見えてないですよ。見えてくるのかなあ。見えてきたら、いいます!なんちゃって、・・・。(爆笑)ただ、見えた見えないでいえば、今までとちがって、人のサーフィンが非常によくわかる。自分で観察しようとしなくても、そういう風に見えちゃうんですよ。
石井:そういうよく見える眼で見て、いま、ここの東浪見海岸周辺で誰かいる?眼につくサーファーが・・・。  
岡野:・・・。  
石井:いない?  
岡野:あんまり、そういう連中としてねえからな、波乗り。  

石井:そうだろう。おれも毎日やってて、誰も会わない。こないだ、マサキ(原田)に声かけられて、ビックリした。あいつも、空いてる方がいいといってたな。  
岡野:それは、もう、ズッチョ(河野正和)は別格!やつは、まだまだ大丈夫ですよ。  

石井:ズッチョのどういうとこ?  
岡野:やっぱり、波乗りに対する姿勢。  
石井:あいつは、謙虚だ。  
岡野:謙虚です。それがまず一番。謙虚であれ!大事なことなんだけどね・・・。むかしの偉大なサーファーたちだって、インタビューとか聞いても、その言葉のところどころに、すごく謙虚さがにじみ出てるんですよ。  

石井:それがにじみ出るのはその人の徳だろうけど、謙虚な性質は本来、自己主張しないから、おもてには出ない。だから、物質主義の現代社会でおもてに出る人間の徳は、みな偽善の様相を帯びてくる。すべてが経済行為に結びついて、モノに還元されてしまう。なぜなら、価値判断の尺度がモノにあって、人間の精神にないからだ。そこで、ノリヒコが最初に言った人間の欲望ね。それを捨て切ることは出来ないというのは、たしかな観察だと思うけど、君自身すでにある限度までそれを落としてきた。だから、やすらぎがある。でも、いまの日本で、この社会のどこにやすらぎがある?さっき、ハッピーだといってたけど、ノリヒコとか、おれが、波乗りで救われても、救われない多くの人はどうなる?それは、お金の問題ではない。お金で得られる幸福なら、おれたちは、はるかに水準以下だから。  

岡野:いまの日本はほんとに、ひどいですよね。政治家といっても、人間的にはまるでなってないし、あんなのに任せてたら、この先だれが首相になっても同じですよ。そういう考えを、根本的に変えないかぎりは。  
石井:国家とか社会というレベルは、ただちに国際社会につながる問題として、人間の二十一世紀はわれわれ全体に即刻伝わる構造になっているけど、それはいまノリヒコが言ったように、不信の構造にほかならない。これは人間の<進歩史観>という枢軸が変わらないかぎり、いつまでも繰り返す。だけど、われわれの小さな波乗り社会も、これと同じ方向を向いてない?  
岡野:結局、そうなってるでしょうね。まあ、おれもサーフィンのそういう部分に携わってないから、よくわからないけど、少なからず世の中のそういうものは、引きずってるでしょうね。  
石井:いまの世の中は民主主義の社会だから、多数の論理で世界が動く仕掛けになってるけど、波乗りのような神秘主義はその逆の論理でバランスがとれている。ノリヒコのような少数者の意見は、いったいどこで、波乗りの世界に反映されるのだろう?  
岡野::・・・。  

石井:つまり、そういう社会で生かされてる?  
岡野:生かされてないでしょうね。いまの、感じは・・・。だって、雑誌批判とか、マスコミ批判になるかもしれないけど、そういう人たちがもっと、サーフィンの本当の大事な部分をきちんと表わすべきですよね。読んだり、あるいは見たりすると、非常に間違いが多いというか、真実じゃない部分も多いし。なんで、もっとちゃんと深く調べて、こういうことは書かないのかなとか。あと、きのうも蛸と話したんだけど、たとえば、どこかの雑誌で「千葉特集」というのやったでしょう。  

大輔:『サーフ・トリップ・ジャーナル』。  
岡野:あれなんかも、要するに、あれは「これが本当の千葉」と言ったんだっけ?ねえ。  
大輔:ええ。これが本当の千葉。  

岡野:そうじゃなくて、あれは「いまの千葉」という題名にすればいい。それが蛸とピッタリ意見が合っちゃったんだよね。(笑)蛸はもう、「さみしくなっちゃった」なっちゃったみたな言い方してた。あの本、見たとき。  
石井:おれは見てないけど、同じこと、どこかで聞いたな。そういう風に言ってますね。  
岡野:蛸も、あれはないよなって、言ってた。  

石井:そういうものに対して、どこかで調整機能が働かないと、波乗りは理解されないし、雑誌もつまらない。大部分のひとはそれで判断するわけだから。  
岡野:そう、そう。あれを読んで、これが本当の千葉なんだと思っちゃうからね。  
石井:これはむかし雑誌を編集してたおれの反省でもあるけど、実際にそういう仕事に関係していると、波乗りに対して敏感になれないんですよ。逆説に聞こえるかも知れないけど、彼らは波乗りの雑誌を編集をしながら、波乗りとはちがう世界にいる。第一、波乗りやってねえんだから。  

岡野:やってないからね。  
石井:波乗りの生活じゃないんだから・・・。  
岡野:でも、それだったらさ、やっぱり一歩下がって謙虚になって、そういうディープな部分を知ってる人たちに、教え乞う姿勢でやるべきだと思うんですよ。  

岡野教彦が名指しで批判した「サーフトリップ・ジャーナル」19号。『千葉のすべて=日本一のサーフタウン・千葉を徹底検証』。一体何が、検証されたのか?

石井:何か、聞きにくる?ノリヒコのとこへ。  
岡野:いや、何も聞いてこない。  
石井:誰も、来ない?  
岡野:うん。  

石井:不思議だなあ。  
岡野:おれが、余りしゃべりたがらないからじゃない?(笑)だって、今の雑誌つくる人たちは、おれのこんな話、聞きたがらないもん。  
石井:なにを、聞きたいの?  
岡野:わかんないけど。(笑)  

石井:じゃあ、ダイスケに聞いてみよう。いまの雑誌のトレンドは、どういう方向にいってるの?  
大輔:いや、もう、なにも。宛先なしですよね。<歩合制>ですから。(笑)  
岡野:宛先なしね。(爆笑)  
石井:歩合制か。  
岡野:だから、宛先なしっていうのは、ポリシーなしなんだよね。  
大輔:ポリシーなし、ですよ。先週、見たもの書きゃあいい。  
岡野:波が出たから、この波のところ特集すればいいとかさ。  

大輔:全員が言ったことが、全部いっしょに入ってるようなもんだから。それもその、テイクオフしてボトムターンでずっこけて、一回切っちゃったからもう、サーフィンやめようかなと思っているような人、ばっかりですからね。びびって…で、なかにはその、本屋さんに就職しようというので、就職試験受けて、本屋に入ったら、たまたまサーフィンの雑誌やってたから、サーフィン始めてみたとか。そういう人が、「これが全てだ!」ですからね。だから、おそるおそる書いてる人なんか、まだいい方だよね。それで今度、プロサーファーに書かせたり、安直なことして、うまく伝わらないわけですよね。こっちはこっちで、適当に、わけわかんないこと言ってるんだから。(笑)それでも、内容によって、売れてる月と売れてない月があるから、だから読んで感じて、それで認識する人がいるということは確かなんですけど・・・。  

岡野:だから、いいものを書いて出せば、いい影響もたくさん与えられるんですよね。      



16:波乗りというメシア
 

石井:教彦のように、むかしから第一線で波乗りやってきて、いまもそれに熱いまなざしを注いで、その目に見えない力がわかってくると、何かを人に伝えたい、伝えなくてはならいという、やむにやまれぬ気持ちが、自然と湧いてこないかな?  
岡野:そうですね。だからこそ、こうやってダイスケとか、ライダーの若い子たちに、最近すごく話すようになるし、まえはおれ、そんなに話しなかったけれども、・・・。  

石井:どういうこと、一番つたえたい?  
岡野:そういう風に聞かれると、自分ではいま、なにを伝えたいというのは別にないですよ。ただ、話のなかで、ああ、この部分はこう鍛えようとか、そういう感じかな。とくに自分がこういう部分を、こいつに教えるんだということは、こいつにどうこうじゃなくて、話してるなかで自然にそういうものは出てくる。  
石井:それが、<無念無想>だろうな。つまり、自分ではなにをどうしようとか、そういう能動的にはたらく意識ではなく、あなた自身はただ、無念無想で波乗りするだけだ。何を伝えようとか、あれはこうしなければならない、こうあるべきだ、そういうような心自体がすでにうるさい。だけど、人との自然なふれあいのなかで、だれかがあなたから、すごくディープなものをひきだし、それを学ぶことは可能である。なぜならそれは、同時にあなた自身が、その人によって学ぶということでもあるからだ。  

岡野:自分では、なにを教えるというのが定まっているわけではないから、それが話のなか出てくるというのがあるじゃないですか、ああそうだ、この部分はちゃんと教えておかなくては、というような部分がね。でも、そのほうが、柔軟性があっていいかなとおもう。あんまり自分のこういう部分を教えなきゃというのがつよくて、それをやっていくと、やはり今の若い子たちというのは、うるせえオヤジだなとかなっちゃうしさ。(笑)  
石井:そこまで、言わなくてもわかるよ。要するに、自然ということだから。でも、波乗りやるうえで、大事なことをもっと知りたいというのはある?  
岡野:それは、たとえば、波乗りのライディングにおいては、むかしから言われているベーシックなものを大事にする、これはいつも言ってますよね。どうしても、みんなアクションばかりに気をとられがちになる。とくに、若い子というのは・・・。だから、ロングボードもショートボードも、なにもないんだよという・・・。サーフボードという板の一枚の上に乗るには、すべて基本的なものはひとつだから。波をよく見ること、とかね。あと、これはいままで話した全体のことになるけど、すべて上っ面だけを見るなということ。結局、サーフィンでもみんな、上っ面だけを真似しようとする。  
石井:そうだね。大事なのは、外面ではなく、それを支えている内面だから。でも、その内面は簡単に見ることはできないし、見ればおそろしい。だから、どうしても人間は目に見える現象だけを追いかける。ベーシックとは、基本であるばかりでなく、その本質でもあるわけだから、ものの上っ面ばかり見てる目では、なかなかそこまで掘り下げていけない。それは、非常にむつかしいですよ。隠れた部分を見ようとするんだから・・・。  

岡野:むずかしいですよね。だからおれは、たんに見えてる結果ではなく、見ようとする姿勢。これが大事だとおもう。それは結果的に見えた見えないのことではなくて、その見ようとする姿勢。それだけで充分なんですよ。  
石井:すごいこと言うね。本当のことをいえば、人間が主体的になにかをしようとして、できることはそこまでだ。結果は、われわれの計らいを超えている。だから、結果ですべてを測る<実証主義>ほど、もっとわかりやすくいえば人間の科学ほど、われわれから遠い存在はないと思う。それは謙虚ではなく、傲慢だ。さっき、波乗りはいま、「涙が出るほど通俗的だ」と教彦が言ったけど(対談の休憩中)、波乗りは通俗にあらざるもの。波乗りの本質は、徹頭徹尾、通俗的ではない!  
岡野:・・・。  

石井:ダイスケが、うちはマニアが多いとさっき言った(同じく休憩中)けど、マニアでないサーファーがいるんですか?  
大輔:・・・。  
石井:サーファーは、みなマニアでしょう。波に乗るマニアが、サーファーだ。サーファーはマニアであり、<アニマ>です。だったら、それ以外の人たちは関係ないかといえば、そんなことはありえない。なぜなら、波乗りは、現代の<救済>だからです。
岡野:・・・。  
石井:ぼくが感じるのは、このきわめて少数派のサーファーが、ああるいは神聖(holy) な波乗りという行為が、社会ばかりでなく、その中にいる人たちにも、理解されずに蝕まれていることです。それをさらなる快楽の道具とすれば、欲望追求の徒となんら変わることがない。愚連隊である。波乗りが、通俗的であることによって、教彦がなぜ、涙をながす?なぜ、そこまで悲しむ?それは波乗りであるメシアが、十字架にかけられているからではないのですか?  

岡野:だから、結局、社会が波乗りというものを決めようとするじゃないですか。スポーツだ、遊びだ、なんだ・・・って。一般的にね。  

1970年代のある日。いつものように千葉で終日波乗りし、東京に帰った岡野教彦は、風呂に入りあとは寝るばかりだった。そこへ師匠の川井幹雄が飛び込んできて、いきなりの北海道行き。そのころの北海道は、はたして波乗りできるのか、誰も知らない。 当時最強の日本一コンビは、波乗りの楽しさを日本中に伝えるために、伝道師的な役割すら担っていた。波乗りのメシアである。百人浜にて。

Photo : Yutaka Okayama


石井:だけど、メディアとかそういうものは、それを決めようとして、やたら波乗りをコマーシャルだなんだで取り上げはする。彼らは波乗りを無視しないが、かといって、核心には迫ることはできない。  
岡野:うん、そうか。あの、核心に迫ろうとはしてないもん。ただ、イージーに取り上げてるだけで。とくにメディアとかは、夏になれば、テレビでもなんでも、宣伝にサーフィン を使えばそれでオーケーみたいな、安易な感じがするじゃないですか。  

石井:安易ではあるけども、そこになにか、人々をひきつけるものがある。そこにサムシングがあることは、誰でも嗅ぎつけている。だけど、そのサムシングはなにかというと、これがまったく分からない。それは、波乗りがそれだけ、神秘的だというこかな?  
岡野:神秘的といえば、これほど、神秘的なものはないですね。だって、言葉で表せないんだもん。(笑)それほど神秘的なものはないですよ。  
石井:そうだろうな。これだけ科学が進歩しても、神秘的なことは、科学では解き明かせないもんな。いや、むしろ科学が進歩すればするほど、われわれは神秘から遠ざかり、われわれの存在の根本からも遠ざかる。どんどん本質からはなれてしまう。  

岡野:まあ、人それぞれに本質的なもののとらえ方はちがうけど、ほんとにサーフィンが好きで、サーフィンにむかしから携わっている人たちは、きっとどこかで同じ本質的な話になったときに、共通するものは絶対あると思うんですよ。つながっているものはね。ただ、ほんとに、でも、今の一般的なサーフィンの扱い方は、すごく多いですよね。もう、やたらとサーフィン使いますもんね。      



17:波乗りとヒーロー
 

大輔:だから、サーフィンする人は、かっこいいんですよ。  
岡野:そう、かっこいい。それはもう、ね。  
大輔:男としても、サーフィンがうまいということは、いわゆる、たくさん魚を捕って来る男なんですよね。  
岡野:ああ、ああ。  
大輔:だから、それだけ魅力のある、おんなとしても必要な相手だったりとか、・・・。  

石井:さかなを捕って来る?  
大輔:はい。ポリネシアの人たちの文化をさかのぼっていくと、サーフィンというものに秤(はかり)をおいて、権力を得るための挑戦であったりとか、そういう人たちはやはり優れた男たち。旦那(だんな)、というか。  
岡野:王族のな。  
大輔:そこにスピリッツがあるから、どうしても、自分よりあとからとか若いやつが、もし自分がひいた波に降りたら、おれの気持ちには、下だろうがなんだろうが、尊敬心がふっと生まれる。あれはもう、スピリッツです。  
岡野:そう、スピリッツ。  
大輔:やはり、海サイドの方ではもう、凄くつよい男というイメージがあるのかな。  

岡野:サーフィンというのは、かっこいいというイメージ。これはもうぬぐい去れないですよね。サーフィンやってるんだ、かっこいいねとか・・・。やっぱり、かっこいいもの、なんだろうね。  
大輔:はじめて乗ったときの感触というのが、「気持ちいい」。  
岡野:それはもう最高のあれだよね。  

石井:いま、ダイスケが言ったのは、古代ポリネシアの波乗りのことだけれども、おれはこないだグレッグ・ノールさんにゆっくり話を聞いて、つくづく思ったことはやはりそれだよな。彼は現代の<巨人>だ。なにしろ、" DA BULL " だから・・・。ああいう人はもう、二度と出てこないだろうな。きわめて貴重な存在なんです。だって、ポリネシアの古代がそのまま現代に生きているわけだから。いま、ここでグレッグさんのことを言い出せば、この話が終わらないから、いつか別の機会にしようと思うけど、あのサーフボードというのは権力の象徴だったのではないですか?いま、グレッグ・ノールは樹齢二千年のレッドウッドで、年間十台のサーフボードを生産している。喉から手が出るほど、欲しいが、一台一万四千ドルだ。その<OLO> とか<ALAIA> は・・・。同様に古代において、二千年の巨大な木は、すなわち<神>ですから、普通の者は斬ることはもとより、近寄ることもできない。それは<御神木>です。古代ポリネシアでは、トーテミズムやマナリズム、あるいはアミニズムというのがあって、いわゆるトーテムポールとか神的なものを仕切れるのは、部族の首長だから、さっき旦那とか王族といったように。だから、サーフボードを海に浮かべて、それに乗るというのは、きわめてまれな祝祭だったかもしれない。それは祭りですよ。だから、その起源はいま二人が言ったように、非常に男性的なものだと思いますけど、これが現代になると、受動的にやや倒錯してくる。その意味で女性的かなと・・・。だけど、女性の波乗りをいまだかつて、美しいと思ったことは、一度もない。こんなこと言うと、女性のサーファーに失礼だけど、不思議なんだ。女は美しいけど、女の波乗り美しくない。  

岡野:おれも、それは言える。かっこよくないんだよ。女の人のサーフィンって。  
石井:女性のからだはセクシーだけど、女性が波に乗った時に、全然セクシーじゃない。あれは、一体、なんだろう?
岡野:かっこよくないんだよな。  

石井:いい女が、上手に乗っても、かっこよくないのね。  
岡野:あれ、なんでだろうな?だから、似合わないんだ。サーフィンと女性は、すごく。こんなこと言うと、怒られちゃうけどさあ、レディスの人に。でも、ほんとにそうなんだよな。なんで、違うんだろう。  
大輔:・・・。  
岡野: そう、そう。あの女性の体型とサーフィンというのは、すごく合ってないような気がする。立った瞬間の姿勢と、女性のからだのラインと。  

大輔:なんか、「バリバリやっちゃうわよ」というような感じの女の子って、なんかこう、魅力を感じないですね。
岡野:美しさが、欠けちゃうし。  
大輔:まあ、何でもいいんですけど。(笑)  
岡野:だから、波乗りのかっこよさは、異性的なものではないと思うんですよ。いわゆる、子供ごころに憧れるような、ヒーローのかっこよさみたいに、もっと純粋な。  

石井:ヒーローだ。  
岡野:うん。だから、いまだにダイスケとかみんなで、むかしのサーフィンのビデオ見てて、ラビットなんかが出て来ると、かっこいいなとか言うもんね。そういうかっこよさ。  
石井:だけど、たとえばラビットの<決め方>とか見てると、その姿勢とか、シナとか、ポーズとかは、男がとるにしては、非常に繊細な動きをしますね。  
岡野:でも、それは繊細かつ大胆だと思うんですよ。大胆さのないサーフィンは面白くないですもん。

七十年代のヒーロー。握手を交わすマーク・リチャーズ(左)とラビット。

Photo : Asian Paradise

石井:大胆ね。  
岡野:うん。大胆だけれども、・・・だからラビットはそれをものすごく表現しているサーファーですよね。繊細さと大胆さを。エーッというような繊細な板のコントロールをしているくせに、でもそこからとんでもない大胆なことをするとかね。  

 


18:マリブでボディーサーフィン  

石井:そろそろ「まとめ」にはいるけど、そうすると、ノリヒコのなかにはラビットも出てくるな。  
岡野:もう、これは出てきます。ラビットは・・・。  
石井:どうしても?  
岡野:うん、どうしても。  

石井:するとビリー・ハミルトンがいて、その次にはラビットが出てくるのかな?  
岡野:そのまえに、その間に、ぼくにはロルフ・アーネスという最高のヒーローがいる。  
石井:ああ、あのワールド・チャンピオンの・・・。彼は、あの時代に際立ったサーフィンを見せてくれた。  

岡野:あれはもう、ショックだった。ワーッ、かっこいいなと思ったけど、ぼくにとっては、唯一のグーフィー・フッターですよね。ビリー・ハミルトンはもう、あの人のスタイルとか、ラインとか、子供ごころに憧れたけど、それからロルフ・アーネス、そしてラビットかな・・・。ラビットはね、かっこいいですよ。なんかの本でも、ラビットがサーフィンの象徴のように書いていたけど・・・。サーフィンそのもの、みたいな。  
石井:ラビットの波乗りは、<感性>を大事にしている。  

岡野:うん。感性をすごく、大事にしている。  
石井:こだわるというのかなあ?  
岡野:うん。ある意味、こだわってる。あと、あいつはスタイルとかセンスね。ラビットのことばで、「センス・オブ・スタイル」というのがある。だから、サーフィンというのはかっこよくしなきゃだめだぞ、というのがありますよね。うん
   。  
石井:なるほどな。・・・。ちょっと、似てるかもしれないな、乗り方。  

岡野:ああ、ラビット?・・・影響受けてますね、きっと。受けてます。  
石井:どっちかというと、教彦は、うしろで乗るだろ?  
岡野:ラビットも、うしろで乗る。  
石井:うしろで乗るだろ。あれが、やっぱりな。  
岡野:あの、・・・。  
石井:こないだ蛸のところで、教彦と三人でビデオ見たけど、いま、みんなまえで乗ってるだろ?まえに、からだが、いってる。  

岡野:そう、そう。まえのめりで・・・。  
石井:あれは、ちょっと・・・。うしろに、のこってないとな。  
岡野:あれが、ラビットなんかだと、そのうしろに残している部分で、大胆なことするじゃないですか。  
石井:うん。あれは、かっこよかった。  
岡野:見ているひとに対して、あれは、すごく余裕があるような乗り方で、いわゆるかっこいいんですよね。  
石井:ああ・・・。  

岡野:非常に、挑戦的な波乗りなんですよ、ああいうのって・・・。よく、考えるとね。  
石井:・・・。  
岡野:普通は、まえのめりで、ガーッとやってるのが挑戦的な波乗りに思えるんだけど、 そうじゃなくて、波に対してすごく挑発的に乗っているのは、あのラビットの波乗りなんですよね。  
石井:逆なんだよな。  
岡野:うん。  
石井:・・・。だから、サーファーの生き方じたい、レイド・バックというか、うしろに下がる、退くというのがあると思うんですよ。まえに、行こうとするのではなく・・・。板のうえのかっこよさも、そういうところ、いわゆる内面から出てくるものじゃないかな。とくに、ラビットなんか見てると。  

岡野:要するに、余裕をもつというような、こころがけ?  
石井:うん。  
岡野:だから、ハワイのバックドアのあのはやい波に対しても、実にあいつは、あの波に対して、挑戦的ですよね。余裕をもって、乗ろうとして。そこが、ショーン(トムソン)とは、まったく別のタイプですよね。  
石井:・・・。  
岡野:グーッとターンして、ヒューッと抜くでしょ、ちから。うしろに、体重かけて。ああいうとこなんか、すごくバックドアの波に対して、挑戦してますもんね。  

石井:確かに、すごく挑戦的で、あのころハワイアンとの間で摩擦が生じた。ジェリー(ロペス)の有名な論文が残ってるけど、いまのノリヒコの観点からすれば、その挑戦的態度は、一方で波と一体になろうとする<調和>の精神が、どこかに働いていたと思う。繊細かつ大胆な波乗りということは、挑戦的かつ調和的ということだから・・・。こういう全一的というかな、波と一体になろうとする気持ちは、すごくラビットの中にもあったと思う。彼は、こぴっどくやられたようだけど、それがなかったら、その一体感がなかったら、誰にも認められなかっただろうしね。ともかく、オージーとハワイアンのことになると、話は尽きないから、やめるけど・・・。(笑)それより、どうなんだろう?ノリヒコの波乗りは、これからどういうところに、行く?どこかに、行きつくとすれば・・・。  

岡野:・・・。わかんないですね。どういうとこに行くかは・・・。  
石井:だけど、千葉にもどってきて、千葉にいるわけじゃん。  
岡野:・・・マリブがさあ、すごく波がでかくてよくて、空いていればさあ、ボディーサーフィンやりたいですね、足ヒレつけて。あの、ピークから。  
石井:はあ・・・。  
岡野:でも、いまそんなことやったら、ガーンなんか、やられちゃうから、あれだけど。(爆笑)じゃあ、おれがボディーサーフィンするから三十分間だけ誰も入らないでくれっていったら、足ヒレつけて、ボディーサーフィンしたいです
石井:やっぱり、マリブかい?  
岡野:マリブです。  

石井:アルバート・ファルゾンとジェフ・ホーンベーカーが最近出した <GLOBUS> THE MEANING OF LIGHT という究めて宗教的なサーフィン映画を見ると、ケリー・スレーターが足ヒレつけて、ボディ−サーフィンしている。ひとりで、ピークから・・・。あれと同じだな。波乗りの映像が氾濫して、むかしのような貴重さが失われてくると、海の底から太陽の方を見ながら、波のピークに泳いでいき、それと一緒に流れていく感じは、すごく新鮮なんだ。むかしは波乗りの映像が、そういう感覚を与えていたけれど、あもりにもそれが通俗化して、みんな飽きちゃったのね。だから、ひとの見えないところで、だれもいないところで、誰にも邪魔されずに、波と一体になれるボディーサーフィンが、究極の波乗りみたいに見えてくる。また実際に、サーフボードというオモチャを必要とせず、自分のからだを道具にするから、より深く結合できるのかな?  

岡野:そう、だからあの波、ボディーサーフィン。ひとりで・・・。(笑)  
石井:だけど、マリブも沖に人の手が入ってから、一時のような波は来なくなったような気がして、たてば混むし、だんだん足が向かなくなってきた。北風でも、おさまるまで待って、整ったら、家のまえでやろうと・・・。そればっかりだからね、おれなんかはもう。  

岡野教彦がたったひとりボディーサーフィンしたいというマリブのパーフェクト・ウェーブ。台風10号、1980年。このころのマリブのチューブには、岡野がいうところの<ねじれ>があり、パワーがあった。

Photo : Yosihisa Hatakeyama

岡野:もうね、ちがいますよむかしとは全然、波のちからも。  
石井:沖で一度、割れるようになったから、力もちがう?  
岡野:あれで、力が消えちゃうんですよ。もっとね、むかしのマリブのね、たとえばチューブというのは、もっとねじれるんですよ、キューッと。もっと、ねじれるチューブ!  
石井:きれいな、波だけどなあ。   
岡野:ねえ。いまでも、キレイな波ですもんね、いい時は。  

石井:リーフが理想的なんだろうな。  
岡野:あれはね、地元で、<たっとの鼻>っていうんですよ。あんな、理想的なリーフは珍しいですよね。  
石井:でも、蛸なんかも、さすがに最近は乗りづらいって、言ってたね。  
岡野:うん。マリブはほんと、ヒドイ!・・・だから、ピークからいい波に乗ったりしても、結局、こういうふうに崩れるところに人間がいるから、ボトムターンしてチューブというところに人がいて、気になって、アーッもうとあきらめて、チューブ入らないでとかね。  

石井:やっぱり、人間がなんでも、むつかしくしている。あれで、ひとがいなければ、もっとチューブは、やさしく入れるんだろうけど・・・。そうすると、松部かな?  
岡野:うん。でも、松部のチューブもむずかしいですよね。マリブも、本当にチューブの奥深くは入るのはむずかしいけど、松部は最後つぶれるのがあるからね。  
石井:ああ、それはデカイときだ。  
岡野:うん。でも、チューブはやっぱり松部が、面白いかな。マリブも、もちろんそうだけど、質がまったくちがう。
石井:そうだろうな。きょうは、長い間、どうもありがとう。なかなか会わないけど、今度いっしょに、波乗りしましょう。・・・(終わり)      

平成十四年十月九日 千葉県長生郡一宮町東浪見海岸「亀仙館」にて収録。


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