
小説『嘔吐』の主人公ロカンタンは、ホテルに一人で暮らしながら酒場のマダムと性交渉があり、酒場の主人のズボン吊りに吐き気をもよおす。サルトルのいう<アンガジェ(engager)>とは、人を縛るとか、参加させるという意味であり、彼のアンガジュマンは「参加の哲学」である。「もし私が結婚し、子供をつくることを望んだとしたら、・・・私はそれによって、人類全体を一夫一婦制の方向へアンガジェするのである。」とサルトルはいう。そこで実存主義が主張する<不安)とは、「自分をアンガジェし、自分は自分がかくあろうとするところの者であるのみならず、自分自身と同時に全人類をも選ぶ立法者であることを理解する人は、全面的な、かつ深刻な責任感をのがれることは出来ないだろう。」(『実存主義とは何か』1945)ということになる。
Photo : Eric Stanton , 1950s.

カミユの<エトランジェ>は、非現実感に悩まされたバルビュスやサルトルの<アウトサイダー>達とちがい、「すべてはそらぞらしい」というムルソーの無関心な態度は、彼の非現実感に原因がある。ムルソーの自由とは非現実からの解放であり、死が現実になったとき、彼は目覚めた。つまり自由とは、「意志の強烈さ」の別名であり、それが必ず現われるのは、生き抜こうとする意志を人間に喚び醒ます<極限状態>においてである。裁判長に十字架を見せられても悔悛しなかったムルソーが、「宇宙のやさしい無関心に心をひらいた」のは、彼自身の処刑が決まったときだった。
The fantasy of religious taboos. Photo by Serge Jacques 1994 .

「イサクを犠牲に捧げるアブラハム」・・・ローマのヴィア・ラティナ街の地下で発見されたカタコンベでは、同じ墓所内の墓室にキリスト教徒と並んで親ユダヤ教的キリスト教徒が埋葬されていた。また、「アブラハムの不安」は、キルケゴールの『恐怖と戦慄(おそれとおののき)』の中に詳しく述べられている。