『波乗りと精神』 三部作について

 

 私は二〇〇三年(平成十五年)一月十三日から、二〇〇五年(平成十七年)五月十三日まで、およそ二年四ケ月の間、離島の草庵即ち「波浪庵」に一人で暮らしていた。島には電話は引けていたが、コンピュータのラインはつながっておらず、この間ホームページの更新はまったく出来ない状況にあった。それでも私は書くことを止めなかった。このとき草庵で書かれたのが、『波乗りとエクスタシー』(全10巻100節)と『波乗りと風土』(全10巻100節)であった。これにオリジナルの『波乗りと精神』(全10巻100節)を加えた全30巻300節を称して、私は「三部作」と呼んでいるわけである。
 もとより、これらの書物は私の著書というよりは、むしろ私の勉強の過程に生じたメモという程度のものにすぎない。したがって、それを読者諸兄の閲覧に供することは、ちらかった楽屋に懇意の客を招き入れるように、私の本意ではないが、もし人あって私のようなエキセントリックな人間に興味を抱き、そのガラクタの中に何か役立つものがあれば幸いと思って、ここに三部作のすべてを公開せんとするものである。
 この「エキセントリック」は、『波羅門』創刊にあたって友人のランディ・ラリックが私につけたあだ名であるが、この"JAPAN'S ECCENTRIC SURFING GENIUS"を、私は「波乗りの数奇者」と自ら訳し、胆に銘じているのである。「数奇」とは、「好き」であり、波乗りが好きであるが、好きが嵩じると数奇になり数奇(すうき)な運命が我々を待っていることを忘れてはならない。この運命に身を任せるのが数奇者であるが、昔は詩歌管弦や茶の湯などの数奇にはじまり、日本流のカルトを形成していた。このカルトつまり礼拝焼香の先に見えてくるものが、カルチャー即ち文化なのである。
 人はそれをどう読むか、あるいはそれを全く無視するにしても、私自身がこれを書いている間、そこに暮らし、そこで実際に生きていたことは事実であり、これはその証明でもある。なぜなら、私は毎日波乗りをするように、毎日これを書き、波のない日には、寝食を忘れてこれに打ち込むほど、何かに憑かれていた。それは「憑依」(ひょうい)といって、よりすがり、よりどころとすることであるが、そこに霊などが乗り移ってくることである。ここに神の霊が乗り移って来ると、奇蹟が起こる。
 自給自足的な私の生活が、次第に限界状況に近づいてくるに従って、日常レヴェルで様々な奇蹟が起きた。その後二〇〇五年三月二十五日に至って、二人の使者が島の草庵を訪れ、新雑誌創刊の決議がなされた。私はその新しい雑誌に『波羅門』という名前を与え、それはすでに述べたように一年後の二〇〇六年三月三十日に発行されたのである。すなわち、この間およそ三年乃至四年のあいだ、当ホームページSC-FAN.COM は、日陰に隠れて、まったく忘れられた存在と化していた。
 だが、何の因果か。・・・私の『波羅門』は、創刊号たった一冊で終わった。これも神の思し召しと観じて、私は次の波に向かってパドルアウトを始めた。このとき、「最高な波は次の波」という、ジェリー・ロペスの言葉がどこからか波に乗って響いてきた。ここで「三部作」というのは、最高な波に乗る準備であり、その勢いに乗って『続・波乗りと精神』が生まれた。これらは全て、『波羅門』に傾注され、それは前代未聞のコスモスを形成するはずだった。今、ここにSCファン・コムの「セカンド・アドベント」にあたり、その前身である「三部作」ならびに『続・波乗りと精神』を順次公開する次第である。        

 (Dec.22, 2006)

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