本朝サーファー列伝



<オールド・スクール>対話篇

第二回:阿部川芳夫

「巡り合わせ」...序にかえて

 岡野教彦との対談が行なわれたのは平成十四年十月九日だったから、あれからもう半年すぎたことになる。あのあと昂奮して、すぐにも次の対談をする勢いだったが、わたしはそれを思いとどまって、教彦のいわゆる<いき>をテーマに『私論』(『「いき」の構造』)を原稿用紙にして約二百枚ほど一気に書いて、対談の余韻を楽しんだのだった。その後も次の対談の候補者をいろいろ考えはした。しかし、それはただ<考え>にすぎず、その考えに任せてしまうのでは面 白くない。考えたうえでの<対話>なら、教彦が最初でなければならない理由もまた、どこにもなかったからである。すべてを自然にゆだね、<流れ>に身を任せて生きるのが、波乗りの生き方であり、それを<FLOW>と言い当ても、その実践はなかなか容易でない。なぜなら、そのような生き方をするなら、この場合、わたしが考えてその人を選ぶのではなく、その人は、向こうからひとりでにわたしのまえに現われるからである。問題は、それまで、待てるかどうかだ!...待つことの基本は<閑>にあると言った。波乗りは<待つ>ことであり、ひたすら待つためには、閑暇に憩う<決心>が不可欠である。教彦のあと、次は誰とこのような対話が成立するのか、すべてを成りゆきに任せて、わたしは離島行きの船に乗った。それからすでに、三ヶ月たつ。

『本朝サーファー列伝』というのは、日本の、歴代の、名サーファーの「列伝」というつもりである。そんなこともすっかり忘れて、わたしは、雨の多い冬を草庵の読書ですごしていた。例の、ハイデガー(『存在と時間』)である。朝から晩まで読んで、二ヶ月では足りなかった。それはもはや、<読書>と呼べるようなものではない。つるはし一つで岩を砕くような気がした。ひと月、雨が降りつづいて、ひと月、海に入らなかった。雨のせいばかりではない。体調がわるいのだ。そのために、<波乗り湯治>に来ているのだが、よくなる気配がない。決定的に傷めているのは、左肩である。だが、動かさないのは、かえってわるいと言って、毎日、呼びに来る者があらわれた。仕方がないから、動く右手一本で、波乗りしているのである。いい波が来て、思わず両手でパドルすると、激痛が走る。

 首肩の疼痛に耐えながら、『波乗りとエクスタシー』を書いているわたしの宿命を、あらためて思わざるをえない日々が続いた。だが、もしこれが<宿命>であるならば、この痛みもまた、<エクスタシー>であるにちがいない。なぜならば、この痛みは、わたしが生きていることの証(あかし)にほかならないのだから...死ねば、痛みはなくなるだろう。しかし、生きていることは僥倖(ぎょうこう)である。だったら、この痛みもまた、僥倖の一部であらねばならない。そうであるなら、この痛みもまたエクスタシーと心得て、波乗りを楽しめばよいのではないだろうか。どうせこの身体も、命も、わたしのものであって、わたしのものはでない。誰かによって、このわたしに、授けられたものだろう。それが自分の思うままにならないといって、いったい、誰を責めることができよう。たった今、ここに自分が<ある>こと、それがそもそも「僥倖」なのだ。

 平成十五年三月三十日未明、島の空は雲ひとつなく晴れ渡った。この一週間、波は毎日、肩頭ぐらいで、<寒稽古>のシーズンを晴れで締めくくった。ノーパドルでテイクオフするために、わたしは無理せず、セブンの板をここ一週間使用している。日曜の朝だが、目指すポイントには、人っ子一人いない。きのう一緒にやった若者ふたりを先に出し、波がよくなるまで一時間半ほど待つ。その間に、スコールが来て、それが通 り過ぎると風がオフショアに変わり、また雲ひとつなく晴れわたった。春の波だ!...森のうぐいすが鳴いている。山の緑が鮮やかになり、その緑を映した海は、エメラルド色の鏡になる。

 「水がきれいですね。」
                    
 わたしのあとから入ってきた人がそう言った。
 「なんでまた、こんなところで偶然に、会うのだろう?」
 
 「それは、巡り合わせですよ。」
 
 「巡り合わせね。」...

 わたしは、そのひとが、
 「向こうからひとりでに現われた人」であることを、瞬時に悟った。  

 「腰が痛くて、(波乗りするの)、半年ぶりなんですよ。」  

 「まさか!...実は、おれもそうなんだ。おれは腰じゃなくて、肩だけど。」  

 「焦ってもしょうがないから、ゆっくりやりますよ。だから、長い板もってきた。
  湘南は、けさフラットだったけど、こっちはデカイのが入ってきますね。」  

 ちょうどそこへ、おあつらえむきの波が入ってきた。  
 「この波、乗っていいですか?」   
                      
 彼は、わたしにそう言って、7’6”の板でその波に乗った。わたしは、彼が乗っていったのを見届けて、そのあとにきた波に乗り、もう一度、沖にもどった。彼は、知り合いの結婚式に呼ばれて、朝一便の飛行機で来て、翌日はもう帰らねばならないのだった。それなら話ができるのは今晩しかない。

 「<名>サーファーじゃくなくて、<迷>サーファーだけどね。」  

と、彼は謙遜したうえで、結婚式が終わったら、わたしの家に来ると言った。


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