半年ほどまえ、前触れがあって、岡野教彦が板を見に<亀仙館>に来た。亀仙館(きせんかん)というのは、東浪見海岸にある、わたしの書斎の別名である。教彦とわたしは、ともにこの辺で波乗りしているはずだが、おたがい顔を見るのは年に数回だろう。もちろん、彼が訪ねてきたのは、この日がはじめてだった。<前触れ>といったが、それは予感のようなものである。このとき、二十年ぶりに、ふたりで波乗りの話をした。それは面白かったが、ほかにも人がいたので、この続きはまた今度やろうといって、半年すぎた。会わないことは、いいことだ。こうやって、ひとは波乗りを楽しんでいる。波乗りの醍醐味は、人と会うことではなく、波と遭うことだ。波と遭うためには、なるべく、人と会わないほうがいい。わたしは、ひとりで波乗りしていることが多い。それは空いているということだ。
前触れといったが、ひとの出会いの前触れは、月の引力のようなものだろう。月が満ちたり欠けたりするように、潮は、干満を繰り返す。教彦とわたしが対座することは、つよい重力と引力の相互作用によって、起こった。それはそうだろうが、実際には起こってみなければわからないことで、起こってみてはじめて、それが何だったかいま実感することができたのである。しかし、この対話のために、なにか用意されたようなことは、なにもない。それは突然やってきて、ただ、過ぎていった。対話のなかで教彦は、「わたしが伝えようと思うことは何もない。」と言っている。これが、彼の存在の仕方の基本的態度である。それを実存的と言い換えてもよい。彼の生き方は、非常に<実存的>である。それはあるがままに、自分が<在る>ということだ。ここが解らないと、岡野教彦が何故、増田昌章をカリスマといい、抱井保徳をそうでないというかが、理解できない。教彦がいったのは、抱井とマメの実存の仕方のちがいであり、カリスマという言葉はここで通俗的な意味を失いかけている。
教彦がマメ(増田昌章)をカリスマという理由は、本文にある通り、「なんにも気にしない」マメの飾らない性格をいったのである。なにも気にしなくて、飾らない性格とは、わたくしがいま、教彦の実存的態度に与えた<あるがまま>という性格とそっくりだ。これは、岡野教彦という人間を知るうえで大事なポイントになるだろう。