「セカンド・アドヴェント」とは
Second Advent とは、「メシアの再臨」を意味する。メシアというヘブライ語のギリシア語訳が「キリスト」である。
したがって「セカンド・アドベント」とは「キリストの再臨」であり、この世界の終末に救世主が現われ世界を救う。 キリスト教では、このときよりいわゆるキリスト者の世界統治が始まるとされているのである。この思想はいわゆる
「ミレニアム」に通じ、「至福千年」の意味であるが、もともとユダヤ民族においては、メシアの国は未来永劫続くものと信じられていた。しかし旧約聖書にみられるような民族の苦難は、こうした夢の実現を放棄せざるを得ない状況に追い込まれていた。しかし見果てぬ夢というものは彼らをして、ついに黙示文学という新しいジャンルの文学を生み出し、永遠のメシア王国出現の前に一時的な世界統治を慰藉として夢みたのである。その期間については教典によりまちまちであるが、千年とするのは聖書の中でも『黙示録』のみだといわれている。そこでは神に対する悪魔、正善に対する邪悪というように、こうした反対勢力を抑え、勝利のうちに民族の王となって世界を統治し思う存分サタンに復讐したいというユダヤ民族の夢が代弁されていたというのである。
しかし今、我々がここで「セカンド・アドヴェント」というとき、それは「波羅門」に対してキリスト教的な意味を持たせながらも、それを超越する「アドヴェンチャー」即ち新たなヴェンチャー(冒険的事業)なのである。すなわちアドヴェンチャーという言葉は、目前に(ad)、起こってくる
(vent) 、(異常な)こと (ure) 、それはハラハラするような予期せぬ出来事であり、危険な旅つまり<冒険>なのである。現代的・論理的思考は、危険を回避するためにあらゆる予測のもとにこの冒険を避け、安全な日常生活を一歩も踏み出すことはない。このために現代の時間は驚くべきスピードをもって過ぎ去ってゆく。そこには娯楽や快楽はあっても、冒険は多数者にとっての危険とみなされ、予測し理解できないものの存在を許さぬことにより、現代人の魂は生きながら死んでいるといわれて久しい。これに対して我々の波乗りは、我々の祖先が生きた遥かな古代以前の昂揚した思想をその起源に持つ。それは現代人の衰弱した論理的思考に対して、古代人の神秘的・前論理的思考のスピリチュアリティに復帰することにほかならない。この可能な限りシンプルで質素な生活への復帰は、それ自体が我々のルネッサンスであり、古代の聖性と神秘、さらには原始の智慧とコスモス、あの偉大なる力を現代に生かすことなのである。
西暦2006年が終わろうとしている。我々は今、祈りと断食の時期とされる降臨節(クリスマス前の四つの日曜日を含む期間)を迎え、SC fan.
com のセカンド・アドヴェント即ちその復活をここに宣言するものである。
(Nov. 28, 2006)
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